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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

2013年05月13日

【一流を目指す子供たちのために 一流のケアを】

【一流を目指す子供たちのために 一流のケアを】
~ 身体を壊すところまで酷使した結果をたくさん見てきて想うこと ~

多分そのギリギリのところも含めて
人間の限界となるような「パフォーマンス」を見られるところに
プロのおもしろさがあり 大変さもあるのだろうと
そんな気持ちで見ております

・・・が だからこそ
「一流のプロ」になってからはじめて
「一流のケア」が受けられるのではなく

「一流のプロ」を「目指す段階」から
「一流のケア」が受けられるような仕組みにできないものかと





プロになったことが目的ではなく
そのあとの活躍あってこそ だと感じているのですが・・・
そこに到達するまでに すでに身体を酷使しすぎていて
「辞めていく」または「身体を壊してできなくなる」人たちを
たくさん見てきました

私自身 中学時代には全国レベルの部活をやっておりましたが
がんばって練習した挙句に
利き腕のひじを骨折して再起不能になりました

でも 壊すくらいのレベルで練習をしなければ
全国レベルになんてなれないというのも
実感としてもっております

だからこそ
小学校や中学校くらいのレベルから
「全国やプロを目指す」という場合には
「一流のケア」がついて
「これ以上やるとケガするよ」とか
「こんな形でやれば負担を軽減できる」などの
対応を教えてもらいながらやれたらいいのでは と


楽しみとしてやる分にはいいのだけれど
全力で「全国」や「プロ」を目指す時には
必要なことだと思うんですよね


そのためには 子供のうちから
「プロや全国を目指す」グループと
「健康増進 教育のため」のグループと分けて
部活動などもした方がいいかとも思っております


金銭的な面なども考えると
なかなか難しいのかもしれませんが
そのほうがいいんじゃないかなーと  

Posted by くみちょう at 12:53Comments(0)教育

2013年02月16日

【基本を学ばないと応用はない】

【基本を学ばないと応用はない】
~守破離を考えて段階を踏もう~

最近の「教師の体罰」事件をふまえて

テレビの報道とかで
「自由な教育」だとか
「子どもたちの自主性に任せる」だとか
そんなことが表に出ている気がして
正直なところ危惧しております


たしかに自主性に任せるって
いいことなんですけども・・・

それができるようになるための
基礎をつくるのが「教育」なんじゃないのかと

テレビの報道とかでは
受けの良さ わかりやすさと強調するためにも
極端な事例(日本一になった高校の練習風景だとか)
を事例として出して
「押さえつけるのではなく
子供たちの自主性に任せればうまくいく」
という言い方をしている
そしてそれに専門家なのかなんなのか
「いまの通りですよね~」
なんてうなづきながら話をしておりますが・・・

そもそも そういった「自主的に行動できる」
「自分で計画を立てて行動できる」
ようになるまで どうやってきたのか
ということが大切なんですが・・・

そこをすっ飛ばして
「全部が全部自主性にまかせて」
なんて言い出したらまずいのではないか と

もし「自主性」を大切にするのであれば
上記の通り
「自主性」を育む活動をまずはしていく
「守破離」の「守」の部分を
しっかりしなくちゃいけない

そのことを強く感じています


まあ そもそも「自主性」というのと
「体罰」とは論点が違うのではないかとも思いますが


みなさんどう感じていますか





もっと深い部分で
表面的なところではない議論を
問題解決に向けてしていく必要があると
そう感じております

  


Posted by くみちょう at 15:11Comments(0)教育

2012年11月06日

「かわいい子には旅をさせろ」

「かわいい子には旅をさせろ」
~これを実践できている人はどのくらいいるのか~

【自分が苦労したことを 子供にはしてもらいたくない】

これって いろんな親御さんと話してきた中で
みんながみんな想っていることだったりします
でついやってあげちゃっているけども・・・

はて 自分が過去に成長できたのは
「苦労してきた経験」にあるよね と気がついたとき
「自分の子供に苦労をさせる」ってことが
できていますか ということをふりかえると・・・

別に愛情がないから子育てに失敗するのではなく
愛情があるからこそ 子育てがうまくいかない

もちろん なんでもかんでも
旅ばかりさせているのも問題なわけで

旅をさせるためには
「いざ」というときには戻ってきて
英気を養ってまた旅に出ることができるように
怪我をしたら治すための病院であったりと
そうした拠点としての役割を親が担うことができないと
子供って成長できないし 旅に出られない

・・・てな話で盛り上がったわけですが
いざ自分が親になると
「それがわかっているつもりでも難しいんだよね・・・」と
みんなで言っておりましたとさ





「一歩離れて見る」
くらいの余裕があるといいんだけどね

そこをどうしたらいいのかについては
具体的な結論は出ませんでした

自分が親になったときにも
おそらく同じことで悩むんだろうなー・・・  


Posted by くみちょう at 15:00Comments(0)教育

2012年10月06日

【基本の大切さ】

【基本の大切さ】
~途中経過を吹っ飛ばして結果を得ようとしない~

「一言でいうと」
焦らずに一つ一つ階段を上ることが
人間にとって大切なことです

「具体的には」
赤ちゃんのころ とにかく立って歩くのが
早い方がいいと思われておりますが
実は「匍匐前進」にはじまり「はいはい」から
「たかばい」「二足歩行」へと
順番をしっかりと踏んでいく必要があります

「なぜならば」
匍匐前進をしながら「腕の筋肉」や「使い方」を学び
はいはいをしながら「指先」をきちんとひらいて
腕の力を指先に伝える方法などを実体験しながら学び身に着け
たかばいをしながら自分の重心・力のかかり具合を調整して
それができるからこそ「二足歩行」をした時にも
「フラフラ」したりせずに歩くことができるようになる

「したがって」
途中経過をすっ飛ばして結果だけ得ようとすると
かえって「変な歩き方」になったり
「早く走れない」などのその後の影響が大きくなります

「それらを知る前の自分は」
とにかく「目に見える成果」や「結果」にばかり目を向けて
途中経過をあまり考えておりませんでした
が 障碍を持った子供たちが
上記「匍匐前進」からはじまり「運動を基礎」を
きちんとやることで「障碍が改善」されている実態を
目にすることで 「ああっ 基本をおろそかにしちゃいけないな」
ということをまじまじと感じることができました

「まとめると」
目に見える成果を急いで求めるのではなく
必要な階段を一つ一つクリアしながら成長していく
ことが大切です






これ「身体的な障碍」のことだけではないんですよね
運動をきちんとして 体幹がしっかりすると
目に見えて 精神的な障碍や 知的障碍も改善されます

「もう○歳にもなるんだから××ができないと・・・」
と思って つい途中経過を抜きにして
××ができるように という成果ばかりに目を向けてしまう

これって 親心としてはよーくわかる
そんな相談を これまでもたーくさん受けてきました
が そこを焦らずに一歩待てるかが大切

子育てに限らず すべてのことに当てはまりますよね


さて 自分は「どこかの階段」を吹っ飛ばして
できた「つもり」でよろこんでいないか
よーく見直していきたいと思います

さあ 今日も一日
何が起きても感謝で受け止める一日にします
楽しんでいきましょう♪  


Posted by くみちょう at 10:00Comments(0)教育

2012年09月25日

「教え育つ」ではなく「共に育つ」のが愛情

【「できるよろこび」を味わうことの大切さ】
~愛情深くても子供が愛情を持てるとは限らない~

「一言でいうと」
愛情をかけても愛を持った子に育たないのは
【できるよろこび】を味あわせ損なっているから

「具体的には」
お金がなくて困っている人に
お金の稼ぎ方を教えるのが「愛情」で
お金を渡すのは「甘やかし」です

「なぜならば」
本人ができるようにならない限り
永遠と「もらうだけ」の人間にしかならないから

「したがって」
失敗することも含めて 挑戦をさせることができるのが
本当の【愛情】であり
そこで「自分は挑戦して いつか成功できるんだ」
という自己肯定感を育むことができて
はじめてその人は「同じように人にも愛を持って接しよう」
と考える余裕を持てる

「表面的な【与えること】を【愛情】だと勘違いしていると」
とにかく大切にする
とにかく言うとおりにする
求められたことに対応する
ということをしてしまいがちです
そうすると「自立」できない人間になり
結果として人に「貢献」もできない

それは「愛情」を持って接しているようでいて
実はその人の将来を摘み取ることになってしまう

「まとめると」
物事に挑戦し 失敗をしつつも
それを受け止めて何度でもチャレンジし続ける土壌をつくり
「成功するまで挑戦し続ける人間」に育てることが
真の「愛情」であり 教育に必要なことです





あっ「教育」って言葉を使いましたが
どちらかといえば「共育」です

これぞ忍耐であり これぞ「愛情」
「失敗や尻拭いは自分がして 成功したら子供をほめる」
これができるのが真の親の姿

その時 子供だけでなく親も大きく成長する
だから「共」に「育」つ

そんな視点でなくては 人は育たない

言葉でいうのは簡単だけれど
なかなかできないからこそ
簡単そうに見える「成功哲学」だとか「教育論」が
世の中で流行ることになるわけで


難しいことを言っているように見えるけど
子供たちが慕う大人って
みんな そうした「愛情ある厳しさ」を持ってますよね

まあこんなことを言っている私が
どこまでできているかはわかりませんが
少しでもそうした「愛情ある厳しさ」を持つ
大人になるように 実践し続けたいと思います


子供を見守るって
生半可な気持ちじゃできないことですよね

そして子供だけに限らず
大人相手にしても同じことだと実感しております

いや子供以上に 大人相手だと大変だけど
それでもその人に成長を願うのであれば
自分はそれ以上の愛を持って「失敗を受け入れる」ようにしないとね♪


愛を持って生きるってことは そういうことだと思います  


Posted by くみちょう at 21:00Comments(0)教育

2012年08月03日

いまは保育の心を持ちたい

【保育ではなく教育を選んだ私】
~いまは保育の心を持ちたい~

「一言で言うと」
安心安全に子供を見守る
ということができるようになりたい

「具体的には」
私はたくさんに人からいろんなことを
教えていただいたことにすごく恩を感じています
だから私も大人になったら同じように
「教育」をしたいと思って生きてきました
しかしそこに感じてきた限界
自分の中の偏ったものを実感したので
いまは保育を目指しています

「なぜならば」
何かを「教えること」に注力しすぎて
「見守る」「安全に」「安心に」という視点が
欠如している自分に気がついたから

「したがって」
子どもたちが自主的に学べるために
安全安心な場所づくりを心掛けるとともに
「手を出さずに見守る」
ことができるようにします

「保育に携わる以前は」
教育はきちんと目的をもって育てている
保育は何も考えずに預かるだけで意味がない
そんなふうに考えてないがしろにしていました
そして保育園や保育所であるにもかかわらず
「子どもが学ぶためには」
ということばかりを考えて実践してきてしまいました

そのため 親御さんが「安心安全に預かって欲しい」
という願いで「幼稚園」ではなく「保育園」に
預けているということをないがしろにしてしまい
迷惑をかけたことがあります

当時はそのことに気がつけませんでしたが
気がつけた今 自分を変えていきたいと思います

「まとめると」
「保育」と「教育」
その両者の視点が大切なのであって
どちらかだけに偏った生き方にならないように
あらためて学びなおし
生き方を変えたいと思います





以前 ある保育園にお手伝いで行った際
子供たちと一緒になって
「全力で泥んこ遊び」をしました
私はスコップで穴を掘って
こどもたちも一生懸命穴を掘って 水を汲んできて
子どもたちにとっては「プール」かと
思うくらいの泥んこ場をつくったところ
子どもたちは大喜びでしたが
その親御さん そしてほかの保育士さんたちから

「子どもたちがそれでおぼれたり
沈んだりしたらどうするのかよく考えて欲しい!!!」
と怒られたことがあります

その時は「子どもたちはこうした遊びを通じて学ぶ
のだからいいじゃないか
ケガをしたり おぼれそうになるのもまた
すごくいい経験で学びになるんだから」

と反発してしまったのですが・・・
いまでは反省しております

きちんと保育の視点も持ったうえで
これまで学んだ来た教育にも活かしていきたい


素直に反省し 未来を変える

それがいまの私のテーマです
プライドは不要
大切なのは過去ではなく 未来なのだから  


Posted by くみちょう at 20:00Comments(0)教育

2012年07月04日

でんでんむしのかなしみ

一ぴきの でんでんむしが ありました。
ある ひ、その でんでんむしは、
たいへんな ことに きが つきました。

「わたしは いままで、うっかりして いたけれど、
わたしの せなかの からの なかには、
かなしみが いっぱい つまって いるではないか。」

この かなしみは、どう したら よいでしょう。
でんでんむしは、おともだちの
でんでんむしの ところに やっていきました。

「わたしは もう、いきて いられません。」

と、その でんでんむしは、おともだちに いいました。
「なんですか。」
と、おともだちの でんでんむしは ききました。
「わたしは、なんと いう、ふしあわせな ものでしょう。
わたしの せなかの からの なかには、
かなしみが、いっぱい つまって いるのです。」

と、はじめの でんでんむしが、はなしました。
すると、おともだちの でんでんむしは いいました。

「あなたばかりでは ありません。
わたしの せなかにも、かなしみは いっぱいです。」

それじゃ しかたないと おもって、
はじめの でんでんむしは、べつの おともだちの ところへいきました。
すると、その おともだちも いいました。

「あなたばかりじゃ ありません。
わたしの せなかにも、かなしみはいっぱいです。」

そこで、はじめの でんでんむしは、
また べつの、おともだちの ところへ いきました。

こうして、おともだちを じゅんじゅんに たずねて いきましたが、
どの ともだちも、おなじことを いうので ありました。

とうとう、はじめの でんでんむしは、きが つきました。

「かなしみは、だれでも もって いるのだ。
わたしばかりではないのだ。わたしは、わたしの
かなしみを、こらえて いかなきゃ ならない。」

そして、この でんでんむしは、もう、なげくのを やめたので あります。





人はつい「自分だけが苦しい」「悲しい」
と勘違いしてしまうものなんですよね。
そのことに気がつける素敵な絵本です

美智子皇后さまのお話の中で出てくるので
そちらで有名になっているお話です

下記はデジタル化されたものです

「でんでんむしのかなしみ」
  


Posted by くみちょう at 10:00Comments(0)教育

2012年04月12日

試行錯誤することの大切さ

【本当の学習とは】
~予想と結果が違うことが「なぜなのか」を
 自分で試行錯誤して、納得いくまでやり続けること~

「一言で言うと」
答えを教えるのではなく
検討の仕方を教える方がいい

「具体的には」
理科の実験について
「教科書」で教えることと「実験の結果」が
必ず同じにならないことを問題視するのではなく、
「どうして実験結果が予測とずれてくるのか」
ということを試行錯誤することの方が
学ぶ上で大切だ、ということ。

「なぜならば」
言われたとおり、教えられたとおり
にしかできないと、その先の学習の楽しみが得られない。
本当の学習の楽しみとは
「自分で答えを見つけ出すこと」にあって
その探究心を満たすことができるような
そんな学習方法を提供していくことが大切だから。

「したがって」
教科書通りに行かないことを「ダメな授業」とするのではなく
それを乗り越える訓練をつめる場を提供していこう

「それをやった子とそうでない子と比べて」
受験勉強だけをさせた子と、
上記の実験をした子では、
その後の学習態度に大きな差が出て、
結果として、その後の進路における大きな差ができた

「まとめると」
答えを教えるのではなく
検討の仕方を教える方がいい





ということで、
「答え」があっているかどうかよりも
そのものの原理原則がどうなっているのか、
その成り立ちに目を向けていく。
「概算」で、「予測」を立てられることが大切。

細かな数字が必要なのは、会計処理とかの時だけにして、
「方向性」を示せるようになること。

数字に細かいように見えて、
実は理科や数学の方がそうした概算について
理解が深いというところが、私の理科好きの理由の一つ
だったりします。

逆に、国語や社会の人ほど、細かい数字にうるさい
気がするのは・・・気のせいかな?(笑)  


Posted by くみちょう at 20:00Comments(0)教育

2012年03月24日

心の傷 受け入れるのに20年かかった

【心の傷】
~受け入れるのに20年とかかかるもの~

20年経った今、ようやく癒えたと言える、
そんなことって、結構あるものですよね。


私の場合、中学生時代には結構なことを言われたもので。

中学2年生の時、「生徒会」に立候補しました。
当時、人前に出ると真っ赤になってしまい、
何をしゃべっていいのかすらわからなくなるような、
そんな子だったもので・・・
演説も、一生懸命練習したけど、
いざ本番になったら頭真っ白になり・・・
念のため、と思って用意しておいたメモ、
それを読むのが精いっぱいでした。


演説が終わり、投票も終わり、
最後に「校長先生」からの言葉があったのですが、
その時のことはいまでもはっきりと覚えています。

「えー、いま生徒会の選挙が終わったわけですが、
一つ、みなさんに伝えておきたいと思います。

演説なんて下手でもいい。気持ちが込められていれば。
なのに、失敗することを恐れて【メモを読んだだけ】
の人が中にいました。
私はこういう人には投票してもらいたくないと思います。

すでに投票は終わっており、
結果的にはその人は当選したようですが、
私は、何も見ないで、堂々と話した
もう一人を評価したいと思います。

みなさんもこれからはそういう人には投票しないように。」

・・・私のことを、全校集会で校長先生が批判した瞬間でした。

ショックでしたね。
自分の中で一生懸命やったことが、批判されて・・・
その時は、担当の先生や、仲の良い先生があとから
フォローしてくれたからよかったですが、
全校生徒を前にして、よもやの個人批判。


まあ、そのことがあったからこそ、
「絶対に人前で話すの上手くなって見返してやるからな!!」
という反発心につながり、いまの自分がいるので、
振り返ってみたらありがたいお話でもあるのですが。

でも、もしもその時、ほかの先生のフォローがなかったら
「やっぱり私は人前に出てはいけないんだ・・・」
と思って、二度とそうしたことはしない人間になっていたと、
そう思います。


・・・中学生ぐらいの多感な時期って、
「大人」は「そのくらい当たり前だろう?」とか
「その程度受け止めなきゃ成長しないだろ」とか
そんな感覚で話している言葉が、ものすごく突き刺さるわけで。

「お前は、兄ちゃんがしっかりしてるのにダメ弟だな。」
「橋の下から拾われてきたんじゃないの?」
職員室で、兄を知っている先生から、笑いながらそんな言葉を
投げかけられた時、冗談だと受け止められるのだろうか。

でも、私だけではなく、
聴いてみると、みなさんそうした想い出ってあるようですね。
鮮明に思い出せるほどに、ショッキングな出来事だった。。。


当時は、本当にものすごくショックだった、と。
でも、いま私が関わるみなさんの多くは、

「いまとなっては、それのおかげで視野が広がったし
よかったよね」と笑いながら言える人が多い。

でも、それも20年、30年経ってようやく癒える傷。

そのあたりも見極めたうえで
声をかけているなら相当な天才教師だと思いますが。

私は、そんなことを計算できる天才教師ではないので、
相手に対しての言葉がけは、
本当に気を付けていきたいなとそう思っています。

心の傷がいえるまで、
20年30年とかかるのだから・・・





何気ない一言が人を傷つける

何気ない一言が人を癒す



言葉って大切です。  


Posted by くみちょう at 20:00Comments(0)教育

2012年03月04日

「第19回子育ての街づくりフォーラム」

本日、午後1時より、「群馬音楽センター」にて、
「第19回子育ての街づくりフォーラム」が行われます。


「北村学園 こだま幼稚園」のみなさまの
この一年の成果を発表する素敵な会です。

私も先日お邪魔してきましたが、本当にすばらしかったです。
一度ご覧いただけたらと思います。
子供たちの姿を見ると、大人もそこから学べます。
ぜひみなさまもご都合がつきましたらいらしていただけたらと思います。

参加は無料です。

教育に興味がある方、
子育て等でお悩みの方にとっては
「言葉だけ」ではなく、「実践事例」として
非常に大きな学びが得られると思います。

ぜひお邪魔してみてくださいませ。
なお、受付で「どんな関係ですか?」等尋ねられましたら
「小松」の紹介です。とお伝えいただけたらと思います。

本当にすばらしいので、ぜひお越しくださいませ。





「第19回子育ての街づくりフォーラム」
学校法人北村学園 こだま幼稚園
場所:「群馬音楽センター」
 〒370-0829 高崎市高松町28番地2
日時:3月4日(日)13時~16時30分
参加:無料  


Posted by くみちょう at 10:00Comments(0)教育

2012年02月08日

びっくり世界一 自然のひみつ

私の人生の中で、
忘れられない本がいくつかあります。

そのひとつがこちら。

「びっくり世界一 自然のひみつ」



※ 写真は、「グレートバリアリーフ」についての説明と、
 その時の掛け合い漫才の様子。


「世界一」と呼ばれる自然を、
旅をしながら体験していくというマンガでして。

「世界一広い砂漠」:「サハラ砂漠」
「世界一深い湖」:「バイカル湖」
「世界一広い湖」:「カスピ海」
「世界一塩分濃度の濃い湖」:「死海」
「世界一長い川」:「ナイル川」
「世界一流域面積」:「アマゾン川」
「世界一大きい木」:「セコイア」
「世界一のサンゴ礁」:「グレートバリアリーフ」
「世界一高い山」:「エベレスト」
「世界一深い海の底」:「マリアナ海溝」
「世界一気温が低いところ」:「南極」
などなど

それを説明してくれる登場キャラクターがまた面白くて、
基本的には「はかせ」が、移動する乗り物含めて解説してくれますが、
一緒に旅をする「ふとしくん」という「食べ盛り」な男の子や
「エミちゃん」という女の子、
そしてはかせがつくった犬のロボット「タロ」が、
かけあいの漫才みたいにしてくれるので、
楽しみながらも自然のことを学べたものです。

子供が読むのはもちろんのこと、
大人が読んでもおもしろいと思うんですよね。

こういう、「気がついたら勉強になっていた」
というものこそが、自分を形成する大切な要素だと思うわけです。

そんなわけで、おススメです。

実家にあったものは、もう捨ててしまってないので、
私も買いなおしたいと思います。

こういうのを元にして、
「いろんな世界一」を、子供と一緒に言い合ったりすると、
また盛り上がるし、勉強にもなるんですよね。
そうなってくると、「ここに載っていない他の世界一も見つけてみよう」
と、次々とつながってくる。

自分の中では、こういうのこそ、
勉強よりも大切なことだなと感じています。

「びっくり世界一 自然のひみつ」

  


Posted by くみちょう at 11:00Comments(0)教育

2012年01月27日

「先生」とは「先に生きるもの」と書く

私が小学生の時、
うちに用事でいらした「将棋のプロ」の方と、
一局打ったことあります。





負けたくない一心で、
一手ごとに全力で考え込んで打っていたら、
なんと一局終わるのに
「2時間」費やしていたことに気がつきました。

勝負が終わった後、
「これだけ真剣に考えられるのはすばらしい!!」
とほめてくれたのが印象的でした。

用事は30分で終わっていたのに、
こちらに付き合って
勝負が終わるまでずっといてくれたんですよね。

結果は負けましたが、
いまでもすばらしいことを教えていただいたなと、
感謝しております。

これが「先生」って言われる人の
やることなんじゃないのか。

そう思った事例でした。


自分が「先んじるもの」があり、
それを伝えたり、教えたりする時に、
「自分の方ができるんだぞ」という姿勢で臨むのではなく、
「相手に合わせて」
そしてよかったところを見つけて「ほめる」
そこに「時間をかける」ことを惜しまない。

こうした視点は、
たとえ理屈でわかっていても、
そうそう実行できるものじゃない。そう思います。


いまの学校とかでは、
「決められた時間内に決められたことを教える」
ということがあるので、
上記の事例のようにはいかないことも多々ありますが、

家の中や、どこかで会った際に、
こうした接し方をできる人はすばらしいですし、
そうしたことができるように、意識していきたいなって、そう思います。


みなさんは、人生の中でそうした
「すばらしい先生」との出会いは、どのくらいありましたか。

私は、思い返すとたくさんあったなあと。
そのすべてに、感謝ですね。  


Posted by くみちょう at 20:00Comments(0)教育

2011年12月01日

建前で話しても、子供には見透かされるもの

「本当に好きなこと」でなければ子供はついてこない
(建前だけ話す人は見透かされている!?)


これは、ある不登校になっていた男の子の
おたくにお邪魔した時のことです。

「部屋の中に引きこもっていて、出てこない。
どんな呼びかけをしても出てこないんですよ」と。

話を伺ってみると「ゲームが好きだ」と。

しかし、学校の先生等はお邪魔して、
その際に好きなゲームの話をしても
その子は出てこなかった、とのことで。

そうですか。

ということで、私の出番となったわけです。

早速、お邪魔して、その子の部屋の前に行きます。

「ゲーム好きなんだって?聞いたよ。
何のゲームやってるの?」

そう話かけても、何の反応もありません。

しかし、私はそこでこう話しかけました。

「実はさ、おれもゲーム好きなんだよ。
で、とりあえずいまはPSPでモンハンやってるんだけど、
モンハンやってない?
いま、G級ゲリョス狩りまくってるんだけど・・・」

って、話をしながらPSPを取り出して電源入れて、
聞こえるように音を出したら、

「ガチャ」

部屋から出てきました。

で、親御さんとしてもその時のことが不思議だったようで、
「いろんな先生が、好きなゲームの話をしても出てこなかったけど、
なんで小松先生の時には出てきたんですか?」って。

「子供たちは、大人が本気でやっているかそうでないか
ということに対して、すごくよくわかってますよ。
特に、【本当はそう思っていないのに建前で話す大人】
については、敏感に察知します。

私は、本当にゲームが好きで話しかけているから、
その子も察して乗ってくる。
でも、ほかの大人たちは、
『本当はゲームなんてやっていないけど、
これで出てきてくれれば・・・』
なんてことを考えているから、出てこない。
そういうものです。」





そう、私は本当にそれが好きだからこそ、
共感されるし、話題が弾むし、子供もついてくる。

でも、好きでもないものを「建前」だけでやっていると、
共感はされないし、話題も弾まないし、子供はついてこない。


いま、大人たちはその「建前」ばかりになっていないだろうか。
好きでもなんでもないのに、
「それをしていると役に立つから」とか、
「勉強している方がいいから」とか、
そういった世間一般の話をそのまま真に受けて、
子供たちに対して「○○しなさい!!」って。

でも、それ、本当に思っているんですか。
実は自分でも「そんなのやっても仕方がないのに・・・」
なんて思っていることを、子供に押し付けていたりしませんか。

そういうところ、子供たちは敏感です。

「お父さん、自分ではやらないくせに
なんで僕にやらせようとするんだろう」

そういう感覚は、小さい子でももっています。
本当に子供にとっていいことだと思っているのであれば、
「大人」である自分が、まずは率先してやっているハズ。

「私はもういいけど、子供には必要だから・・・」
というのは、逃げの言葉ではないでしょうか。

本当に必要だと思っていたら、自分もいっしょにやる。

たとえば、部屋のかたづけとかもそうだし、
勉強にしても同じこと。

親がかたづけていないのに、子供にかたづけろと言ってもダメ。
勉強にしても、親がしないのに、子供にさせるというものダメ。

「建前は見抜くのが子供」

本当に好きで、自分自身が大切にしていることでなければ、
子供はついてこない。


子供たちと接していて、本当にこのことは感じています。
建前でだけいいこと話していても、何にもならない。

子供もいい子にしたいと思ったら、
まずは自分がいい人になろう。


・・・って、自分のことを振り返ってみて、
どこか建前で話していないか、よく見直さなくちゃね(^^;)  


Posted by くみちょう at 19:00Comments(0)教育

2011年10月15日

過去の自分と、いまこそ向き合う

「人間としてはすばらしいが教員としては失格だ」

私が、教育実習において言われた言葉です。
先日、私の恩師の先生のお話をしましたが、
そうした先生になりたいと思って教員を世界を希望していた、
その矢先に言われたことが、この言葉でした。

リンク先(過去)では、うまくまとめておりますが、
自分の中で、改めて咀嚼すべき時に来たと思います。
そこで、言われたことを原文そのままに書きます。



「人間としてはすばらしいが教員としては失格だ」

この言葉を言われたのは、教育実習先の中学校でのお話でした。
私は、恩師の先生、自分が目指す先生が
「子どもたちに楽しくすごしてもらいたい。
いい体験をしてもらいたい。」

そんな姿で接してくれていたこともあり、
早朝7時から、陸上の練習をする子どもたちと一緒に外を走ったり、
休み時間も子どもたちと話をするようにしていました。
授業をつくるため、徹夜みたいなことを繰り返している中だったので、
辛かったけども、子どもたちが笑顔で話しかけてくれるのが楽しくて、
がんばっていこうと、そんなことを感じていた、そんな教育実習中。

が、その日の夕方、職員室に呼ばれた私に、担当の先生はこう告げました。
「お前、教員辞めろ。向いてなんだよ。」
いきなりの言葉に、いったいどうしていいものかわかりません。
続けざまに、こう言ってきました。
「早朝の校庭走り回ったり、休み時間に子どもとしゃべって、
調子に乗ってんじゃないのか?
子どもの人気取りすれば教員やってられるなんてほど、
この世界は甘くないんだよ。辞めろ。」


私は、すぐに「そんなことありません!!
そう言い、自分のお世話になった先生の話をしました。

「私の大好きな先生」

本当に、自分たち生徒のことを想い、
様々なことをしてきてくれた先生、
その先生の生き方に感銘を受けたからこそ、
私は教員になりたいと、そう想って行動してきた。
「人気取りなんかして、そんな単純なものじゃない。
本当に、子どもたちと心のふれあいがしたい、
そう思って、私は教育実習に来たんです!!!」


その話をしたあと、その先生はこう言いました。

「あっはっは。感動したよ。面白いじゃないか。
お前、【営業】になれよ。
営業だったら、いまの話に感動してモノ買ってもらえるさ。
ダメだったとしても、そんなお前のダメな姿見て、
可哀そうだと思って、みんながモノ買ってくれるさ。


いいか、お前みたいな、そしてお前の恩師の先生みたいなのがいるから、
学校はタイヘンなんだ。学校ってのはそんなに簡単なところじゃない

いま、子どもたちは、そして親たちはそんな状況にないんだ。
こっちの一言二言の上げ足とって、
「言われた通りにしたら上手くいかなかった。どう責任とってくれるんだ!?」
そう言ってくるような子どもたち、親を相手にするんだ。

学校ってのは、そういう厳しい現場なんだ。

お前の言うことは確かにそうかもしれない。
人間としては、お前みたいなやつはおもしろいよ。
でもな、教員としては失格だ。


まあ、実習は適当にやっておけよ。どうせできないんだから。」





それが、教育実習で言われたことでした。

これを言われた瞬間の自分の中で、
どれだけの怒りと悲しみと、
そして自分が信じて疑わなかった教育の世界への絶望と、
本当に、言葉にはできないようなそんなうっ屈した想いが、
自分の中に湧きあがった、そんな瞬間でした。


そうは言いながらも、いままでは
これをバネにしていろんな活動をするようになり、
学校の先生にならなかったおかげで、
様々な体験や、いろんな素晴らしい人たちを出会えるようになり、
むしろこのおかげでいまの自分がある。
ありがたいお話です、とまとめるようにしてきました。

それは、建前ではなく、事実です。嘘はありません。
それはそうなのですが、
が、やはり自分の中では咀嚼しきれていないんですよね。

そうは言いながら、恨めしい、許せないという気持ちが
この時のことを思い出すたびに、
いまだふつふつとわき上がってくる
のです。

これって、自分自身が本当に向き合わなきゃいけない課題から
逃げている
ことなんだって、そう感じています。
本当にこのことに感謝できているのであれば、
怒りはもうなくなっていい
ハズ。

涙を流しながら、元恩師の先生にこのことを話しながら、
泣きながら「教員目指すのは辞めます」なんて言わなかったはず。


ある人から、こんなお話をいただいたことがあります。

学校の先生は何のプロなのか。それは学問を教えるプロだってこと。
そのための勉強を続けてきたし、そのための資格でしょ。
テストをして、子どもたちにきちんと学ばせることができたのか、
そして、自分たちは伝わるように授業を工夫したのか、
常にそれを見直して、そうした工夫をし続けている。

だけど、「こころのプロ」じゃあないよね。

子どもたちのこころを成長させたとか、向き合ったとか、
そんな話はなんとでもできる。
本当に子どもたちのこころを、数学や国語のように
数値化して、テストで学んだ成果を確認し、
できなかったところを後日補修するような、
そんな学習をできるのか?できないんじゃないのか。
だったら、心の教育だとか、心を大切にするなんて、
言うこと自体まちがってるんじゃないのか。

それに、学校がやるべきことは、心の教育じゃないんじゃないのか。
その教育実習の先生が言うように、勉強を教える場であって、
「こころの教育」がしたいのであれば、いまやっているみたいな、
学校外でやる
、それでいいんじゃないのか。


・・・これまでの自分は、学校の中においても、
子どもたちにとって心を大切にすることを心がけたいと思ってきました。

でも、その根本から見直さなくてはいけないのではないか、と。

その部分をおざなりにして、これから先、
教育活動なんていっても、たかが知れてるのではないか。
自分が味わったあのなんとも言えない気持ち。
せっかくそうした機会があったのに、
単に「自分の成長の役に立ちました」って言っていいのか。

もっともっと、いろんなことと向き合う必要があるのではないか。
そう、いまだからこそ、考えています。

簡単に答えが出るものでもないし、
もちろん、すぐに答えを出さなきゃいけないものでもありません。
むしろ、じっくりと、時間をかけて、
自分の中で納得いくまで咀嚼していく課題であると、
そう感じています。


まじめすぎるのかもしれないけども、
こうして向き合うことしか、自分にはできないのだから、
できることを少しずつやっていこう。

そう、考えています。
  


Posted by くみちょう at 20:30Comments(2)教育

2011年10月12日

私の大好きな先生

私が、教育の世界を目指そうと思った先生の話。

以前にも一度お話したことがありましたが、
「想い出を大切にしたい」
また、何度か他の記事でも出てきましたが、
この先生のおかげで、私の今があるといって過言ではない
そんな素敵な先生です。

その先生、なんでだか、私の人生の転機には、
なぜかばったりとまちなかであったりするんです。

ある時など、市役所でばったりだとか、
ホントに、あってお話をして、当時の自分の想いが、
感謝とともに浮かび上がってきて、涙が止まらなくなることが、
何度かありまして。

その、私の大切な、尊敬する先生のお話を。
講演等でお話をさせていただいておりますが、
自分でも、再度まとめるためにも。



その先生は、中学校一年生の時の担任の先生でした。
女の先生で、ちょうど私たちの親の世代です。

気さくで、いつも笑顔で、
冗談を言うと冗談で返してくれて。
そんな先生が大好きで、みんなにこにこ楽しいクラスでした。

その先生が、ある日「遅刻」をしてきました。
これまで一度もそんなことはなかったのですが、
「遅れちゃってごめんねー」
そう言いながら教室に入ってきました。

私は、いつものノリで
「あー先生が遅刻したー!!先生が遅刻したら、もう怒れないじゃん!!
おれたちも明日から遅刻してもいいんだよねー」


「まったく、くみちょうはいつもそういう冗談ばっかり言うんだから」
そう、軽く返してくれて笑いながら次に進む。

・・・ハズが、その日は違っていました。
先生は、その場でポロポロと涙をこぼしてしまっていました。

私は、何が起きたのかわかりませんでした。
大好きな先生を泣かしてしまったこと。
どうして泣いているのかもわけがわからないこと。
そういったことから、パニックになっていました。


「あー、くみちょうが先生泣かしたー!!」

まわりからそんな声が聞こえてきました。

その直後、先生は
「ごめんね、何でもないから。それじゃ、授業はじめます」

そう言って、授業を開始しました。

その日の放課後、先生は私を誰にも気づかれないように
別室に呼んで、このように話してくれました。

「今朝は、いきなり泣いちゃってごめんね。
いろいろ理由があるんだけど、
○○(私の本名)には、きちんと話しておきたいと思ったの。

実はね。今朝、先生のお母さんが倒れたの。
それで、朝から病院に付き添ったりしてきて、遅刻したの。

他の先生たちが休んでもいいと言ってくれたけど、
でも、先生はみんなのところに行きたいと思ったから、
学校に来たの。

でも、そんな時にかけられた言葉が、
「○○からかけられた言葉」だったの。
思わず、先生泣いちゃって・・・ごめんね。

みんなの前で泣いたら、○○がみんなから責められちゃうもんね。
ごめんね、泣いちゃって。。。」

そんな話をされて、すでに私は泣き崩れていました。
大好きな先生に対して、なんてことしちゃったんだろうって。
本当に、人を傷つける言葉をかけちゃって、最低だ!!

泣きながらそう思っていた時に、先生はこう続けました。

「○○(私の本名)は、いつもやさしくて、おもしろいことも言って、
いい子だってのはよくわかってる。人を傷つけようとかそういうことを
考えていないってのは、すごくよくわかってる。
でもね、人って、時と場合によっては、
【同じ言葉でもショックを受けたりすることがある】の。
○○には、そうしたところまで配慮できる人になって欲しいと思ってる。
そうすれば、もっともっと○○はよくなるよ。」

本当に、その言葉を聴いた瞬間、
もう感謝とともにどうしていいのかわからないくらい、泣き続けました。
自分のお母さんが倒れた、そんなタイヘンな時なのに、
子どもたちのことを考えて学校に来てくれて。
それだけでもスゴいのに、心ない私の言葉を受けて、
傷ついた自分がいるのに、それでも私のことを考えて、

人前で言ったら私が傷つく。いじめられたりすることを考えて、
こうして放課後に、個別に話をしてくれる。





本当に、やさしさだとか包容だとか、
こころの底から、この先生は私のことを大切にしてくれているって、
そう感じられた先生でした。


私は、この先生がいたからこそ、
「こういう大人になりたい」
そう思って、教育の世界に入ろうと決意したのでした。

いまでも、忘れられない想い出だし、
これ以上、自分の中に染みわたった言葉はありません。

いい大人が、思い出して泣いてますから(笑)

勉強だとか運動だとか、そういうことよりも、
何よりも大切なことをおしえてくれたと、そう感じています。

私の中にある「すばらしい人間」とは、
この先生であることは、まぎれもない事実です。
こういう生き方ができるようになりたい。

そんな、自分の原点。
私の大好きな先生。


大切な、大切な自分の中の想いを
確認するためにも、こうして書いてみました。


先生だからすごい、とか尊敬できるということではない。
「人間としてすばらしいからこそ、先生足り得るんだ」
そう、私は強く想い、これまで生きてきた。
そんな、お話でした。  


Posted by くみちょう at 10:00Comments(0)教育

2011年07月26日

物を大事にしていない

最近、子どもたちから「ゲームが壊れたから直して」
という依頼が増えております。





まあ、ある程度ならば、私でも直せるので、対処しています。
もちろん、親御さんに確認をしてから、
実費でかかる費用のみ、いただきます。


・・・でも、さ。直すのはいいとして・・・その前に、
「もっと大事に扱えよ」
と思うのは気のせいでしょうか。

私は、今も、小学校入学の際に買ってもらった
「三角定規・ホチキス・コンパス」を使っています。

「物持ちがいい」
ということも言われますが、大切に使えば使えるものじゃないか、と。

もちろん、無理に壊れたものを使うとか、そういうことは言いません。
でも、もう少し物を大切にしてもいいんじゃないか、と思うわけです。

私は、たとえばゲームに関しては、きちんと箱に入れて保管していたし、
持ち歩くようになってからも、傷つけないように気をつけ、
必ず袋に入れて持ち歩いているし、
汚れた手では触らないようにしたりと、意識しています。

でも、壊した子たちを見ると、やっぱり乱雑に扱っているんですよね。
「そりゃ、壊れるな」と。

もちろん、子どもが使うんだから壊れて当然。
そこも配慮して、壊れづらいものを作る、という、
任天堂のような考え方(DSはそこを意識してつくられている)もあります。
でも、子どもたちには、やはり物を大事にする姿勢を身につけて欲しいなと。

あんまり要求したり、押しつけがましいことはしたくはないのですが、
壊れたものをみて、大切にしない姿を見ると・・・
「二度とお前には触らせない!!!」
と怒鳴りたくなるようなこともあります。


まあ、こんなことを言っている私も、
まわりから見て「物を大切にしない」と
言われてしまうのかもしれませんが。


高価なものだろうが、安価なものだろうが、関係ない。
やはり、物は大切にしてもらいたいなと、そう思います。

特に、お母さんやお父さんから買ってもらったものなどは、
その気持ちも考えて使ってもらいたいなと。

こういうことを思うあたり、私も歳とったのかなと思ったりもしますが・・・ね。

  


Posted by くみちょう at 21:00Comments(0)教育

2011年07月07日

役割分担

学童でも、学校でも、そして家庭でも、
「役割分担」ってのはたいせつだなって思うわけです。

うちの家庭では、父親はいざという時に怒る、
母親はやさしいお母さん、という典型的な昔の家庭でした。

で、まあ学校や学童などにおいても、
他の先生方との役割分担をするわけですが・・・

「怒る役」の人は、常に怖い存在であっていいわけで、
そして「やさしい役」の人は、常にやさしくていいわけで。

必要に応じて、その人が対応すればいいので、
非常に対応がしやすいんですよね。

でも、難しいなと思うのは、片親の家庭や、
子育てに一切手を触れない父親だとかの存在。


そうなると、お母さんだけで、お父さんだけで、
両者の役割を同時にこなさなきゃいけなくなる。

これ、非常に難しいことだと思うんですよね。


「時に応じて、厳しくもなり、やさしくもなる」


言うほど簡単なものじゃない。

大人ですら、線引きが難しいのに、
ましてやそれを受ける側の子どもにとっては、
なおのこと、対応が難しくなるなと。





厳しくする部分と、やさしくする部分。
その両者の兼ね合いの中で育っていくことを考えると、
やっぱり役割分担をしながらできるようにしたいなと、
そんなことを感じています。


もちろん、男性が厳しい役で、女性がやさしい役というように、
昔ながらのものに縛られる必要はどこにもないので、
役割が入れ替わっていても、またほかの観点でもいいと思います。


自分だけですべてをやろうとすると難しいけど
役割分担するだけで、うまくいくことも多いと感じています。  


Posted by くみちょう at 20:00Comments(0)教育

2011年05月21日

顔面に唾を吐きかけられました。

先日、小学校一年生のAくんと遊んでいたところ、
突然、「顔面に唾を吐きかけられ」ました。

しかも、こぼれたとかではなく、
あきらかに唾を吐きかけるために、一度ためて、
それから私の顔に向けて吐きかけてきました。

あまりのことに、一瞬呆然としてしまいましたが、
もちろん、叱りつけた上で、迎えに来たお母さんに話をしました。

すると、本人曰く、
「こちらが思う通りのあそびをしてくれなかったから気に食わなかった」
とのこと。
「気に食わないからって、唾を吐きかけるなんてダメに決まっているでしょ!!」
と話したところ、

「ダメって言われてないからやった」

・・・

で、「唾を吐きかける」なんて、気に食わなくてもやらないもの。
なので、その時にお母さんに聴きました。

「ご自宅ではどうなのですか?」

すると、

「うちでも【飼っている犬に向かって唾を吐きかける】んです。
ダメって言っているんですが、
【だって、犬は嫌だって言ってこないよ。だからいいんだよ。】
と返してくるんですよね。

かわいそうだからやめな、とは言っているんですが・・・」





もちろん、そんなことは許されない!!!
として、二度としないことを確認し、
自宅でも叱ってもらったのですが・・・
現場での話では、ずっと「おれは知らないよ」
「もう帰っていいよね」とか、はぐらかすことばかり。

「謝らない限り、二度と来なくていい!!!」
そう叱りつけて帰宅することとなりましたが・・・

うーん・・・
自宅で、犬を相手に「唾を吐きかける」って・・・
そしてそれを「辞めさせることができなかった親御さん」と、
他の場所でもやってしまったその子・・・

今回の件で、その夕方、泣きながら「ごめんなさい」
と謝罪の電話をしてきましたが・・・

これで本当に学んでくれればいいんですけどね。


「言われてないからやっていい」

唾をはきかけるなんて、ダメに決まっている。
しかも、相手が嫌がることだってことは、わかっている。
わかっているのに、屁理屈をつけてとぼける。
こういうごまかすことは私は一番許せないと思っています。

悪いことをしたら、反省して次しないようにする。

どんな人間だって、間違いや、その場の感情でやってしまうこともある。
だから、やってしまったこと、それ自体を怒る気はありません。


でも、ごまかしたり、逃げたりするのは許せない。

今回、そうしたことを改めてはっきりとさせる必要を感じた事例でした。

しかし・・・そうしたマナーって、家庭でやるものじゃないんですかね。

いまは、学校や学童、職場でマナーを教える時代なんでしょうか。

みなさんは、どう感じますか。


いずれにしても、この子が今回の件で学んでくれれば、それがなによりです。

そして、その対応が学べたことへの感謝、ですね。  


Posted by くみちょう at 19:00Comments(4)教育

2011年05月07日

6÷2(1+2)=

6÷2(1+2)=

こんなの簡単じゃん!!!

答えは「1」だよ♪(^^)



・・・と思った方、まちがえております(^^;)
私も間違えました(ToT)

答えは「9」が正解。

おそらく ( )の中を先にやるということから、
やっていくと、答えは「1」になってしまったと思いますが、
この ( )は、「掛け算」という扱いですので、
( )の中を先に計算すると、次のような式になります。

6÷2×3=

この場合、左から順番に計算していくことになるので、
答えは「9」





<ネタ元>
「6÷2(1+2)=?」という小学生レベルの問題? 大勢の人が「1」と答え半分以上が不正解

ってことらしいんですが・・・
納得できないものがあるんですよね。

6÷2(1+2)=
こう言われたら、通常( )の中から計算をする。
で、6÷2(3)になる。
ということなんですが、

( )の中身に対しての分配法則が適用されるはずなので、
6÷(2+4)=
こうなると、( )の中を先に計算するので、
6÷6=

で、答えは「1」

のハズなんだけどなぁ・・・

これが間違いといわれてしまうと、
なんだか納得がいかないところなんですが・・・

みなさん、どう思いますか。  


Posted by くみちょう at 10:00Comments(4)教育

2011年04月13日

いまどきの中学3年生

昨日、某中学校に社会科の非常勤として勤務してきました。

・・・あっ、一応言っておくと、こう見えても
幼稚園・小学校・中学校・高校・図書館司書・博物館学芸員免許を持ってるんですよ。
・・・「う・うそじゃないんだからね!!!」(爆)

ほら、そういうのがないとこんなにあやしい人間が
中学校とかで話ができるわけがないじゃないですか・・・って自爆!?(笑)


まあともかく、その初日ということもあり、自己紹介があるわけです。
ある程度の自己紹介をしつつ、
「質問コーナー」として、いろんな質問を受けつけてきました。

「はい、質問のある人は手をあげて!!」

まあ、例にもれず、子供たちからの質問と言えば、
「先生は何歳ですか?」
「結婚してますか?」
「つきあっているの?」
「初恋はいつでしたか?」

などの、独身には突き刺さる質問が続くわけですが(ToT)

まあ、「わーたーしーはー気にしないー」(笑)
適当に本気で(?)あしらいつつ。

で、その中からたまに(?)
こんな質問が出てくるわけです。

「石原慎太郎さんの東京都知事4期目当選についての
先生なりの見解を聴かせてください」


で、笑っていた状態から、
「先生はどうこたえるんだろうか?」
という子どもたちの聴きモードにスイッチが切り替わったのを感じます。
まあ、そこはまじめに答えるわけですよね。
私なりの見解、というものももちろんあるわけですが、
「それが正しいととることなく、
ひとつの意見として聴くことができるよう」
に話をします。

で、そんな質問に答えた後の質問。
いつも教室でふざけたことを聴いてくるある男子。

「人はなんのために生きているんですか」

その場にいた担当の先生も「えっ」って顔をして、
クラス中も「えっ!!」って顔をして。

そこで、私はこう答えました。

「おおっ、いい質問だね。
【人はなんのために生きているのか】
そうだね。先生のそれに対する答えは、
【人は、自分はなんのために生きているのかを探すために生きている】
んだと考えています。」

そう答えました。
すると、クラスの別の子から、
「じゃあ、先生はなんでそんなふうに考えているんですか」と。

私は、聴きました。
「みんなに聴きます。自分は【何のために生きているのか】
を答えられる人はいますか。」

シーンと静まり返る教室。

そこで、はじめに質問をしてくれた子が答えました。
【僕は、お父さんお母さん、おじいちゃん、そのまた先といった人たちから
ずっと受け続けてきた生命を全うするために生きています】


「すごい!!」
私は、そう聴いて拍手をしました。
クラス中から、拍手が出ました。

ひとしきり拍手を終えてから、

「いま、すごくいいことを言ってくれたよね。
いまのは彼にとっての答えだけど、
そういう、【自分なりの答え】を見つけられた時がうれしくない?

他のみんなは、まだそういうことを見つけていないかもしれない。
まだよくわからないかもしれない。
でも、わからないことだからこそ、
悩んだりしながら、それが見つかった時の喜びが大きいんだと思う。

先生もそうだけど、【答えが見つかった】と思っても、それが変わる時もある。
また悩みはじめたりもする。でも、そうして悩んだり考えたりを繰り返しながら
生きていくことに、生きている意味ってあるんじゃないかな。
そう、先生は考えています。」


・・・これが、いまの中学三年生からの質問と、
それに対する私の回答です。





子どもたちは、本当にいろんなことを考えているし、感じている。
そんなことを、改めて感じた、中学校でのやりとりでした。  


Posted by くみちょう at 20:00Comments(0)教育

2011年03月06日

小さな一歩を褒めることの大切さと難しさ

子供たちの成長の過程を見ていると、本当に頭が下がります。
なぜなら「言った通りのことをがんばる」から。

でも、それに気がつくのは難しい。
なぜなら、大人の目から見たら「一歩」にもなっていないように見えるから。
でも、その子にとっては大きな「一歩」
そんなことが多いんですよね。






先日、ある子供とカードゲームで遊んでいた時のこと。
その子は、ちょっと他の子たちとうまくコミュニケーションがとれない子。

そのカードゲームも、本来のルール無用で遊んでいました。
「先生、遊ぼう!!!」
そういって一緒にやるものの、私は、毎回ぼろ負けしていました。
そりゃそうです。その子の気分でカードの効果をつくり、
ルールも変えるのだから、負けて当たり前。

周りで見ている子たちも、

はじめは興味をもって近寄ってくるものの、
「ルールも何もない」ということで、
やっても負けるから離れていってしまいます。

何度か遊んだ後、私は考えて一言伝えました。
「○○くんは、強いねぇ。でもいつも勝っててばっかりだと、
相手はつまらなくなっちゃうよ。
たまには一緒にやっている友達も、勝ちたいと思うよね。」


想像で遊ぶ、ということもまた、子供同士では大切。
だから、想像を元にオリジナルルールで遊ぶということ自体はいいこと。
だけど、常に自分に都合よくしていたら、相手はタイヘンだよね。
友達も、遊んでくれなくなる。そういったところへの配慮ができればな。

そんな気持ちを込めて、相手にも勝たせてあげることが
できるようになればいいなと、そう考えて言った一言でした。



それを受けて次の日、いつもの通りその子が私とカードで対戦をしようと言ってきました。
そこで、対戦をしていました。
途中経過はいつもの通り。
その子にとって都合よくルールをつくり、大勝ちをしていました。

「うん、いつもどおりかな」
そう思った矢先、

「ここで僕の自爆!!!先生の勝ち!!!」

突然、自分のカードをぱっと弾き飛ばして、
私の勝ちを宣言しました。

私は、「やったー!!勝てたー!!!」と喜びました。

でも、内心は「そんな勝ち方はうれしくないよ。
それは違うでしょ。それじゃ他の子も嫌がるままだよ。
そんな投げやりなやり方じゃなぁ・・・」

と心の中で思ってしまいました。

結局、二回戦ったあと、
「またあとでね」
といって、その日の対戦は終わりました。


「うーん、やっぱり言っても通じないかな・・・」
なんて思いながら、その日は帰宅したのですが・・・
あらためて考え直してみると猛反省です。

その子は、私が言った通り、「相手(私)を勝たせた」んですよね。
まさしく、こちらが言ったとおりのことを
がんばってやったわけです。

なのに、そこを評価しないで、
「ああっ、思ったとおりにならないな」と思ってしまった自分。
その時、すぐに「おっ、昨日言ったとおりにできたね。がんばったね」
とほめてあげることをなぜしなかったのだろうか、と猛省しました。



これは、子育てだけに限ることではないけれども、
自分が考えている一歩と、他の人の一歩は違う。
ましてや、伝えている言葉通りに相手がしているにも関わらず、
「こちらの意図はそこじゃないんだよな」
と、もっと先を見ていたりして。

それができなかったことに対して、
「何でわからないの?」
と思うのではなく、

「一歩踏み出したこと」に対して、
こちらが伝えたことをやってくれたことに対して、
感謝したり評価したりすることが大切なのに。
なかなか、その一歩に気がつかないことって多いんですよね。

その一歩をほめられるからこそ、次にも進めるのに、
それを認められなかったら、
「どうせやっても意味ないし」
という子供に、人間になっていってしまいます。


「小さな一歩を褒めることの大切さと難しさ」

改めて、そんなことを感じました。
日々、見直ししていかなきゃいけませんね。  


Posted by くみちょう at 19:00Comments(0)教育

2010年09月10日

教育費を一番かけていない県

総務省の家計調査から都道府県別教育費ランキング

1世帯あたり教育費第1位は埼玉県で29万5891円。
2位以下は東京都(23万3677円)、神奈川県(20万4605円)、
千葉県(20万0128 円)、岐阜県(19万5469円)と続いている。
上位4県を首都圏が占めている。内訳を見ると、
私立大学授業料が教育費を押し上げているようだ。
大阪府、愛知県でも私立大学の授業料が高いことから、
都市部では私立大学に通う生徒が多いことが分かる。
地方の場合、授業料に加えて下宿代などが嵩むことから
国公立大学に通う生徒が多いのだろう。

なお、教育費に関しては各家庭の通学状況によって大きく変わるのか、
年度による金額の上下動が大きかった。
調べる年度によっては金額が変わることも考えられるので
データには注意していただきたいが、地域的な傾向をある程度知ることはできるだろう。

教育費 [ 2008年第一位 埼玉県 ]





別にお金をかけたからスゴイ、というわけでもないし、
お金のかかるのは私立であることが多いということからして、
特に私立だからよくて、国公立だとダメということもないので、
一概に言えるわけではありませんが・・・


本当に群馬県は教育に力を入れている、と言えるのでしょうか。

お金以外の方法で、子どもたちに教育を施している、
と言い切れるような活動をしたいものです。  


Posted by くみちょう at 18:00Comments(0)教育

2010年08月09日

ホラー映画で体調不良





教諭は、1学期のカリキュラムを終えていたため映画上映を計画。
「頑張ったごほうびに」と見たい映画を尋ねたところ、
児童らがホラーを希望
した。20日夜にPTAが6年生を対象に
体育館でホラー映画を見たり暗い校舎内を歩いたりする
肝試し大会を予定していたこともあり、2作品を選んだという。

その後、体調を崩した児童がいるとの情報を受け学校は各家庭を訪問。
眠れないなどと訴え急性ストレス反応と診断された児童がいることを確認した。

 今月1日に緊急保護者会を開き、筒井校長と教諭が経過を説明、謝罪した。
保護者からは「行き過ぎ」との批判の一方、
「子どもが見たいと言ったのだからいいのでは」との意見もあったという。

小学校授業でホラー映画、体調不良訴える児童も


うーん・・・子どもたちからの要望か。
うちの学童においても、子どもたちはホラー好きだけど、
一部すっごく苦手な子たちがいるので、
その子たちがいない時でなければ見てはいけないことになっています。

苦手な子、嫌な子に合わせることも必要だから・・・
でも、他の子たちが要求することに合わせると・・・

多数決を取ると、こうした結論になることってありますよね。
全体的にはよくても、一部にこうした子たちが出てくるという事実、
そこへのフォローが必要なわけで。

かといって、そうして別にするだけの人材や時間の余裕があるかというと、
それもまた難しかったりする。
で、多数決で決まったことだと、異論をはさみずらいというのもあったりして・・・


こうした問題が起こることを極端に嫌がると、
つまらない学校になっちゃうんですよね。
そうした学校への負担もそうだし、

公共の役割だとか、
多数決による問題点など、


この問題は、いろんなことを示唆しているような気がします。
様々なことを考えるためには、いい事例かもしれません。  


Posted by くみちょう at 15:00Comments(2)教育

2010年06月23日

悪いことはマネしない。注意するのが友達。

あー、タイトルみて、
「またくみちょうがキレイゴト言ってる」
と思わないでください。

この言葉、小学校二年生の女の子が言った言葉なんです。





昨日のこと。
小学校一年生と二年生の男の子がケンカをしていました。
理由を聴いてみると、「年下のクセに呼び捨てにした」とか、
「死ね」とか「バカ」とか言ったと。

先に言ったのはそっちだ、こっちだ、
と責任のなすりつけあいしかせず、
いい加減、これは言うしかないかなと思った時に、
その場にいた小学校二年生の女の子が、こう言いました。


「さっきから聴いていれば、二人とも言葉が汚すぎるよ。
なんでそういう言葉遣いをするの?」

すると、ケンカしていた二人はこう言いました。
「だって、みんなも使うじゃん。」

「みんなって、誰?」
女の子が聴きかえすと、
「友達の●●くん」

それを聴いた女の子の発言。
「あのさ、友達の●●くんが悪い言葉を使ったら、
あなたも使っていいの?違うでしょ。

悪いことはマネしない。
「そんな言葉使っちゃダメ」って注意するのが友達じゃないの?


ケンカしていた二人も、思わずだまってしまいました。

でも、まだ釈然としない様子で、
「でもさ、先に言い出したのは・・・」
なんてやりとりをぶつくさ言い出したのを見て、ため息まじりに一言。

「あのさ、まだやるなら隅っこ行ってやって。
私、そういうの聴きたくないから」




さて、小学校二年生の女の子のこの言葉を受けて、
何か考えるものがありませんか。
  


Posted by くみちょう at 18:00Comments(0)教育

2010年06月22日

制携帯

制服は、着用が決まった服なわけですが、
制携帯は、携帯が決まった携帯電話なわけです。





制服のように学校が使用を義務づける携帯電話「制携帯」を
今年度から導入した須磨学園中学・高校(神戸市須磨区)
の生徒会が20日、報告会を行った。
生徒や教員、保護者に実施したアンケートも公開し、
利用方法について議論を交わした。

 携帯電話をめぐっては、未成年者のトラブルが多いことなどから
使用を禁止する学校が主流だが、
同学園は正しい使い方を教えようとあえて導入を決定した。

厳しい規制でも好評、制服のような「制携帯」 神戸の私立中・高


禁止するのは、時代の流れの中で無理なのだから、
だったらきちんとした使用方法を学ぶほうがいいですよね。
こうした、時代に沿った形で新しいことを導入していくことって、
やはり必要なことだなと感じています。

もちろん、いろんな考えがあると思うので、
一概にこれがいいともいえないですけどね。  


Posted by くみちょう at 10:30Comments(0)教育

2010年06月14日

「1185(いいはこ)つくろう鎌倉幕府」!?

鎌倉幕府成立は1185年ってマジですか?
ゴロ合わせはどうなるんですか?
1192(いいくに)つくろう鎌倉幕府は
日本史に自信が無い人間にとって
唯一確信を持って言える歴史知識だと思ってたのですが


鎌倉幕府成立は1185年ってマジですか?ゴロ合わせはどうなるんですか?





ちょ、マジですか!!!
って、びっくりしていたのですが・・・

誤解している人が多いようなのだけど、
中学の教科書では、”鎌倉幕府成立は1185年”などとはいっていませんよ。
「教科書では、鎌倉幕府成立の年を特定しなくなった」というのが正しい。

んだそうです。
一一八五 平氏がほろびる
源頼朝が守護・地頭の設置を認められる
一一九二 源頼朝が征夷大将軍となる
」と書かれているけど、”鎌倉幕府成立”とはどこにも書いていない。

守護・地頭の設置を認められた段階で成立、になるのか、
征夷大将軍に任じられた時点で成立、なのかが判断つかないようで。
うやむやな形になっているようです。


社会の先生でありながら、こうした変化を知らなかったというのは・・・
反省しなくちゃなと思いつつ、
みなさんはこんな事実をしっていましたか?

って、どちらにしても受験勉強でしか使わないでしょうけども。  


Posted by くみちょう at 10:00Comments(0)教育

2010年06月09日

【都合の】いいとこどりをする子どもたち

「うざいならやればいいじゃん。学校ぶっ壊してきな!」

中学生の次女らにけしかけた母親逮捕 東京・町田
中学1年だった次女らに「学校をぶっ壊してきな」
などと破壊行為をそそのかしたとして、警視庁少年事件課と町田署は、
暴力行為法違反(教唆)の疑いで、
東京都町田市の飲食店従業員の女(37)を逮捕した。
同課によると、女は「つい格好を付けて威勢のいいことを言ってしまった。
まさかあそこまでやるとは思わなかった」と容疑を認めている。

母親(37)「ウザイならやればいいじゃん。学校ぶっ壊してきな!」→本当に娘が暴れて母親逮捕





お前は「死ね」と言われたら「死ぬ」のか!?

という言葉を昔はよく使ったものですが・・・
そうなんです。いまの子たちって、
「言われたから・・・」
を理由にしてやっちゃうんですよね。

でも、いつも思うのですが、
「いいこと」に関してはやらず、
「やっちゃいけない」と言われていることに関してだけ、
そうした言葉にしたがうというのは、
けっきょくのところ、
「言い訳づくり」でしかないようにも感じています。

まあ、今回の事例に関して言えば、
遅刻や喫煙など怒られて当然のことに関してのことなので、
なんともはや・・・って思います。

「今の子どもたちは、本気と冗談の区別がつかないんだから、
めったなことを言うな!!」


とは、私が教育実習の現場での話しなので、
かれこれ10年前の話ですかね。

いやいや、本気と冗談、区別はついているんですよね。
だけど、わかった上で「あえて」自分にとって都合のいいことだけ
を抽出して実行している。

自分のいいように。
都合のいいところだけを受け取っていく。

「素直に生きるとバカを見る」

そんなことを大人が言っているからこうなるのではないか。
素直に生きるのがいいんだってこと、
もう一度しっかりと子どもたちが感じられる社会にしていきたいと思っています。  


Posted by くみちょう at 19:00Comments(0)教育

2010年01月23日

ギザギザハートがやんわりハートになった

♪ちっちゃな頃から悪がきでー

小学校一年生の時に、取調室に行った経験があるくみちょうです。
悪がきというか、親からしたらたまったもんじゃなかったでしょうね。
校長室に呼ばれて、直接指導なんてことも何度もあったわけで。
でも、その頃に一通りの悪いことはやりつくしたから、
いまはこんなにいい子(はぁと)になったわけで。





いま考えてみても、うちの親父のスタイルはわかりやすかった。

「自分が思ったことはなんでもやってみろ!!
やってみないとわからないんだから。
ただし、やって「失敗したな」と思ったら二度とやるな。
経験してみればわかるんだから。何でも経験してみろ。」


普通の親だったら、
「取調室で事情聴取するので来てください」
なんて言われたらもう、大騒動でしょうね。
でも、何事も経験、ということで怒らずに話しを聞いてくれた親の姿。
本当にありがたいことだなと、そう感じています。


自分が親になったとして、
「そんなことされたら事後処理がタイヘンじゃないか!!
はじめからやらないほうがいいに決まっている!!
なんで尻拭いをしなくちゃいけないんだ」

そう言ってしまうかもしれない。
でも、それじゃダメなんですよね。

ギザギザだったからこそ、やんわりのよさがわかる





いまのやんわりハートになれた自分は、誰のおかげか。
成長するまでにかけてきた苦労に感謝しつつ、
自分もそうならなきゃなと、強く想っています。

いきなり「やんわり」を求めない。
言葉でいうよりも行動はむずかしい。
  


Posted by くみちょう at 18:00Comments(0)教育

2010年01月13日

親の愛とは、自分の評価は二の次にできることにある

仕事、勉強、お酒など、子どものころは分からなかったが、
大人になってその良さが「「分かった」という人はどのくらいいるのだろうか。
大人になって良さが分かったものが「ある」(76.6%)という人は7割以上いることが、
アイシェアの調査で分かった。

 「ある」と答えた人が、大人になって良さが分かったものとは何だろうか。
該当する項目を答えてもらったところ「親の存在」(56.9%)がトップ。
次いで「勉強」(47.1%)、「酒」(32.6%)、「仕事」(29.5%)、「子どもの存在」(27.4%)、
「芸術」(21.9%)、「読書」(21.4%)
と続いた。





大人になって良さが分かったモノといえば


教育って、目の前のことができるかできないか、
そうしたことではなく、20年後や30年後を見据えて、
大切なことを伝えることにあるのではないでしょうか。


いま気がつかなくても、あとで気がつけばいい。
無理に今教え込もうとすると、押し付けになって拒否反応が出ることも多い


そうした点が、子育てにおいて、教育において大切なポイントだと
そう感じています。

目先の利益や効果ばかりが、成果主義のもとにチェックされていますが、
そうではない部分をどう扱っていくのか。

なんとなく、感覚ではみなさん感じているのだと思いますが、
それが実証されないことには、不安なんですよね。

でも、「あとでわかればいい」「自分は評価されなくてもいい」
そんな視点があるからこそ、親という存在はありがたいのではないでしょうか。
それが、親が子に対して捧げる「無償の愛」ということではないか。

「私は親として立派である」
そんなふうに、自分の評価を気にしてしまううちはまだまだなんだ。


・・・・と言ってみたものの、
じゃあそれをできるのかというと難しいのが現実なわけです。

「自分が評価されなくてもいい」
そういった視点、身につけようとしなくても親になれば身につくのか、
それともそこには何かしらの鍵があるのか。。。

これから親になっていく私たちの世代として考えたいと思います。
  


Posted by くみちょう at 20:00Comments(0)教育

2009年12月22日

母親業を手放して、ゆっくり休んでください。

子育ての問題に直面していて、この言葉を改めて強く感じています。

「いいお母さんであろうとするな」





子育て、手を抜けばいいんです。
家業、手を抜けばいいんです。


自分がやれる範囲でやればいいんです。

「無理してやらなくちゃ」とか、
「がんばらなくちゃ」とか、
そんなこと考えていませんか。

いや、まわりから脅迫されていませんか。

「母親として○○しなくちゃいけない」
「母親なんだから○○くらいはできなくちゃいけない」


そんなのは、まやかしです。

タイヘンな時は、ご飯は手を抜いて「外食」でもいいじゃない。
ストレスがたまったら、遊びに行けばいいじゃない。
子育てに疲れたら、誰かに任せればいいじゃない。


また、元気になったらやればいいんだから。

無理してやろうとして、
自分も苦痛、子供も苦痛。見ている側も苦痛。
そんな子育て、する必要ない
ですよ。


「マナーもばっちり!!
勉強もばっちり!!
運動もできる素敵な子供を育ててる、
そして質素な生活をしていて、
子供とだんなを第一に考えている」


だなんて、そんなことできるわけがないんですから。
そうした「いいお母さん像」はすべて取り払いましょう。

そうした無理難題をふっかけられて自分が潰れないようにすること。
それが家庭を大事にして、子供を大事にして、
なによりも自分を大事にすることにつながるのだから。


手を抜いて、適当にしていても子供は育つもの。
困ったときにはじめて手をさしのべてあげればいい。
そんな緩やかな気持ちで子育てをしていただけたらなと
そう、心から想っています。

そうは言っても、まわりからの目で手放しきれない人も多いでしょうけども、ね。
がんばっている姿は、わかってくれている人は多い。
だから、全員にわかってもらわなくてもいいと、そう思っています。

あなたのがんばりは、見てくれている人は必ずいるのだから。
安心して、手放して、ゆっくりと休んでもらいたいなと、そう思います。


お母さんたち、産んでくれた時点で「ありがとう」です。
あとは気を抜いて、休んで、ほどほどでやってもらえたらと思います。

笑顔でいてくれさえいれば、それでいいのですから。  


Posted by くみちょう at 19:00Comments(0)教育