2008年08月26日

しわよせは子どもに行く

先日ありました、某事件について、
少々長いですが、省略なしで読んでいただきたいと思います。


埼玉県三郷市の民家で3月、幼児3人が置き去りにされ、
島村健太ちゃん(当時2)が死亡、双子の長女が負傷
した事件で、
保護責任者遺棄致死傷の罪に問われた母親の無職島村恵美被告(30)=同市早稲田2丁目=
の初公判が20日、さいたま地裁であり、島村被告は起訴事実を大筋で認めた。
動機については「育児の煩わしさから逃れ、交際男性との同棲生活を送るため」と指摘した検察側の主張に対し、
「育児放棄になりやすい状況だった」とし、複合的な要因によると主張した。

検察側は冒頭陳述などで、島村被告は2月、双子の父親で名古屋に単身赴任中だった
内縁の夫とは別に、近くの居酒屋店員と交際を開始。
店員と2人で近くに借りたマンションで同棲したいと考えるようになり、3月3日ごろ、
「ママはもう戻らない。後はよろしく。(妹と弟の)面倒見てね。おなかがすいたら
電話をかけて」と言い残し、子どもを置き去りにしてマンションに移り住んだ、と指摘。

事件当時6歳だった長男が1日数十回、「弟や妹が泣いている」と電話で助けを求めたが、
島村被告はせいぜい1日1~2回、子どもたちのいる祖父母宅の玄関先に行って、
ハンバーガーやパンなどの出来合いの食べ物を長男に渡すだけで、おむつ交換などをしなかったと指摘。
児童相談所職員などとの面会も拒み続け、「20歳前半から育児に追われていたので、
一人の女として自由になりたい
と供述したという。
http://www.asahi.com/national/update/0821/TKY200808200380.html

一方、弁護側は、健太ちゃんが夜泣きがひどかったことや内縁の夫や実母らの支えもなく、
「育児放棄になりやすい状況だった」と主張。
「交際を始めたばかりの男性に癒やしを求め、育児放棄がエスカレートした」と述べた。

起訴状によると、島村被告は店員と同居するため、3月3日以降、間借りしていた
祖父母宅の3階の部屋に3人を放置。12日に健太ちゃんを脱水症や低栄養で餓死させ、
長女に脱水症などで10日間のけがを負わせたとされる。

この日、長い髪を後ろで結い、グレーのトレーナーにジャージー姿で入廷した島村被告。
裁判長の問いかけに、小声で答え、うつむきながら落ち着かない様子だったが、
検察側が長男の供述を紹介すると、あふれる涙をこらえることはできなかった。

「ママが作ったシチューやカレーが大好き」という長男。母親が去った感想を検察官が
聞くと「我慢できなかった。さびしかったよ。何度も電話したけど全然出ない」と答えたという。

ゴミが散乱する部屋で出来合いのパンやハンバーガー、お菓子を買い与えられる日々。
「残っていたご飯を食べようとしたら腐っていた。冷蔵庫もないから」。
当時2歳の妹と弟を一生懸命笑わせようとしたが、長女が笑っても、「弟(健太ちゃん)はずっと
泣いていた」という。


健太ちゃんの死を目の前にした島村被告は「お前はクビだ」と長男を平手で一発たたいたという。
それでも長男は「本当に全部ボクが悪い。面倒みろと言われていたのに、
全然お菓子とかあげないで」と
母親をかばったという。
http://www.asahi.com/national/update/0821/TKY200808200380.html

「「本当に全部ボクが悪い」 6歳長男、捨てられても叩かれてもなお母かばう…埼玉の幼児餓死事件 」
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1168033.html


自分の平穏を求めることは悪いとは言いません。
が、守るべき子どもがいるのに、何をいまさらそんなことを言うのでしょうか。

これを読んだ瞬間から、涙が止まらないのですが・・・
感情に任せて様々なことを書くことはいくらでもできますが、
あえてここは、いくつか、整理して話をしたいと思います。

○ 家族内での問題は、すべて子どもへと出てしまう
今回の件では、親が意識して子どもへと責任を転嫁しておりますが、
家族の間では、意識せずとも、子どもが背負うことになるんですよね。
なぜなら、子どもはそれを言葉ではなく感覚で感じ取るものだから・・・
「子どもは難しいことわかりっこない」
そう感じているご両親がいらっしゃったら、ぜひそのことを考えていただきたい。
なまじ言葉にできないからこそ、余計に苦しみは大きいですよ。
そしてそれを子どもなりになんとかしようとするから、
子どもの苦しみは大きくなっていく。
そのことを、改めて考えなくてはいけないと、そう思います。

○ 自分のしあわせと他人のしあわせ
自分がしあわせを願うのと同時に、
他人も同じようにしあわせを願っているということ。

当たり前のようだけれども、これを考えることができるようになるのは、
非常に難しく、そして多くの悩み、苦しみを乗り越えていく必要があるなとも感じています。
だから、なかなか他人の苦しみやしあわせについて考えることは難しいですが、
だけど、これだけは感じて、考えてもらいたい。
「あなたが苦しんでいるのと同じコトを、他人も苦しんでいる」
自分だけが苦しみ、他人だけがしあわせなんてことは絶対にありません。
そのことを、深く心に刻んでもらいたいと、そう思います。

相手のしあわせを願ってる、と自己満足に浸っても仕方がありません。
そのためには、相手にそのことをはっきりと聞いてみてください。
人は超能力者ではありません。
話も聴かずにそれを知ることはできないのです。
必ず、相手にそのことを聞き、自分もそれを話すようにしましょう。


当たり前といわれていることばかりかもしれませんが、
こうした痛ましい事件の裏側になるのは、そうした「当たり前」といわれていることを、
なぜかやらなくなってしまったということにあります。

繰り返しますが、「人は超能力者ではありません」
話も聴かずにわたかったつもりになるのは非常に危険です。
同時に自分のことをわかってもらいたいと思ったら、必ずそれを伝えましょう。

これ、すっごく大事なのに、みんな忘れてしまいがち、
遠慮してしまいがちなところです。





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Posted by くみちょう at 18:00Comments(3)TrackBack(0)教育

2008年08月18日

すばらしい教育者

こんばんわ。本日は教育者として、必ず名前が挙がってくる方、
「森信三」先生について、ちょっとご紹介しておこうと思います。

私も、何度か名言集としても使わせていただいております。

森 信三
 2歳の時、両親が別れ、転々ともらい乳をし、3歳の時、小作農の森家に養子となる。
小学校高等科を卒業後、給仕から身を起こし、小学校教師を経て、
広島高等師範に進み、京都大学哲学科大学院を修了。
師範教諭13年勤務、その講義録「修身教授録」が名著となる。
戦後は、大学教授をつとめつつ執筆活動。それらが全33巻の著書にまとまる。

「人間は一生の内に、会うべき人には必ず会える。しかも一瞬早すぎず遅すぎず
(巡り会いの必然性というものがある)」


「人生二度無し」

「我が身に降りかかることはすべてこれ天意」

「腰骨を立てよ」

という言葉が有名。

「国民教育の父」





人生に二度目はない。
だから、それだけ悔いのない生き方ができるかが鍵になる。

とても大切な、しかし忘れがちなことを示してくれています。


「教育の父」

私も、そう呼ばれるような教育者になっていきたいとそう思います。


「社団法人 実践人の家」
http://www.jissenjin.or.jp/

「逆境の人々」
http://www.cts-net.ne.jp/~qt/gyakkyo33.htm


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Posted by くみちょう at 21:00Comments(0)TrackBack(0)教育

2008年08月07日

しかると怒るの違い

人に「注意する」ことと、「けなす」こととは違う。

というわけで、こんばんわ。まじめな話です。

いろんな人が言っているし、さまざまなところで目にも耳にもする話ですが、
気がつくとやってしまっているのはこれじゃないかなと思っているくみちょうです。

そんな話、知ってるよ、と思いつつもなかなかできないのがこれかなと。


「怒る」っていうのは、自分に余裕がないから、対処のしようがないから怒るんですよね。
なぜなら、問題がないことに対しては怒る必要性を感じないから


「怒る」というのは、自分が対処しなくてはいけない問題だと感じていながら、
しかしながら有効な解決手段が見えないことを指して怒っている。

その「怒り」を相手にぶつけてしまったら・・・そりゃ関係がうまくいくはずはないですよね。

「しかる」というのは、相手の話をよく理解した上で、
相手にとって「必要」だと感じてやるのが「しかる」ということ。

これは非常に難しい。

どうでもいい人に対してはそもそも「しかろう」という気は起こらないし、
かといって重要な人がそうした行動をとってくると、「しかろう」という前に、
「悲しみ」や「怒り」の感情が出てきやすいから。

でも、それを分かった上でそうした行動がとれるようになったら、
相手とのコミュニケーションはすばらしいものになるんですけどね。

当事者とか、いざそういう時になると感情に流されてしまうのが人ってものです。
その浮かび上がってきた感情を、どんな形で処理していくのか、
そこでこそ落ち着いて考えることが大切なんだと、そう思います。


あなたは「怒って」いますか。それとも「しかって」いますか。


私はまだまだ「怒る」ことが多いので、反省の日々です。


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Posted by くみちょう at 18:00Comments(2)TrackBack(0)教育

2008年08月03日

本日は、カウンセラー養成講座第二回目です。

本日が第二回目です。

先日、不登校関係で相談を受けた際に、「ああっ、学んでおいてよかったなぁ」
と感じるできごとが早速ありました。

はじめはお話を聞いていて「それはたしかに不登校問題だな。うん。それじゃ相談に乗りましょう」
そう考えて話を聞いていたのですが・・・あれれ?話がおかしな方向に・・・

それって、私じゃ無理です。あきらかに「病気」の部類です。
という事例にぶつかりました。
これまでの自分だったら、「それは心が弱いから」とか思っていたところでしょう。
しかし、今回、「これは病気じゃないのか」ということの気が付くことができました。


そう、これまで私がしてしまっていた「大きな間違い」

それは「不登校と病気を混同していた」ということです。

様々な理由があって「行きたくない」となっている不登校の子どもたちと、
「病気で行けない」子どもたちではあきらかに違うものなんですけども、
それをごっちゃにしていた自分がいます。

風邪をひいている子どもに無理やり起きて登校させたら風邪がひどくなるだけです。
「行きたくない」と思っている子の相談を受けるのとはわけが違います。

そうしたところを明確に判断できるようになったことが、まずは大きな大きな一歩だと感じています。

こうしたことに気が付けるのも、きちんと基礎を学んだから。

もしみなさんの中でも、「カウンセリングって本当はどういうものなの?」ということを
本気で触れてみたい、という想いがありましたら、
全部を受けずとも、一回きりの受講でも構いませんので、
ぜひぜひ、受講しにお越しください。

全日程  10:00~16:00
会場   高崎市総合福祉センター 3階 会議室4
費用 今回のみ¥7,000 全部参加¥73,500
※参加者には、一回ごとに内容をまとめたDVDを差し上げます。
<8月度 8月3日(日)> 
10:00~11:00 生理学的基礎 進化の歴史
11:00~12:00 感覚と知覚
12:00~13:00 昼食
13:00~14:00 動機付け・葛藤と欲求
14:00~15:00 学習・認知論的学習理論



詳細はこちら
http://www4.ocn.ne.jp/~tewo/semina.html


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2008年07月06日

モンスターハンター

昔、若いのにシッカリした先生が娘の担任で・・・・
懇談会で
「うちの子は、箸が未だにもてないんですけれど??!
先生はお若いから指導のしかたもしらないんですか?」

と息巻いた御バカ母親がいて・・・おいおいと思っていたら

「箸の持ち方を幼稚園で指導するなんて今日まで考えたことがありませんでした。
箸がもてるように家庭での生活を見直してください。他に何かご意見のあるかた~」


とはっきり言い返して、思わず「おぉ~」という歓声が低くクラスに響きました

末子の時には
明らかにバカな母親が
「先生が気に入らないから入学金を返せ」
とPTA総会で言い出し騒然となり、さすがに泣くかな・・・と思ったら
「気に入らない部分を今、すべておっしゃってください。
改善できるところは改善いたします。」
と・・・。
バカ母は「その気が強そうなところ、偉そうなところ、子供生んで無いくせに・・・」と言い出しましたが、周りがドン引きで遠くのほうから「病気の人なの?」という
声まで出て、尻つぼみ。

あの先生すごいです。
大好きでした~♪






「モンスターハンター」
http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51322971.html

「モンスターペアレンツハンター」ですね。

面白がって文句をつけるマスコミや、一部分のみを報道して、誤解を招いたり、
モンスターが教育委員会を通じて文句をつけたりとタイヘンな状況にあります。

でも、現場の先生方の中で、こうしてがんばっている人がいるという姿は、
見ている人は見ているし、応援するのが多いこともまた事実です。
負けずにがんばってもらいないな、と心の底から思います。


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2008年06月24日

先にやられてしまった~!!!

「徒然草」





日本の古典の代表的名作ですが、
この内容、現代でも感じ入ることが非常に多い。

まるで日本庭園を眺めているかのごとく、
味わい深いものを感じます。

でも、勉強苦手・嫌いって人にとってはとっつきにくいですよね。

そこで、現代語訳した上で、それをおもしろおかしく紹介したら、
「みんなよろこんで覚えるんじゃないだろうか?」
そう思って以前授業をしてみたことがあるのですが・・・

結局、序文で終了~(ToT)

と思っていた矢先、「うおっ、やってる人がいた!!!しかもかなりおもしろい!!」

ということで、少々ショックを受けつつも
「おもしろいものはTTPだ!!!」
注)TTP=徹底的にパクる!!

ということで、早速ご紹介させていただきます。

個人的には「この木なからましかば」や「先達はあらまほしきものなり」あたりが好きなんですけどね。


「徒然草を現代語訳してみる」
http://waranote.blog76.fc2.com/blog-entry-1181.html

【序段】
暇だから書いてみた。反省はしていない。

<原文>
つれづれなるままに、日暮らし、硯に向かひて


【第1段】
生まれた以上、望みは多いよね。
天皇になりたい! ってこれは言いすぎだよね。第一血統的にムリ。
総理大臣くらい? が一番の理想くらい。そこまで行かなくても事務次官くらい行ったらおk。
少なくとも孫の代くらいまでは安心。それ以下は底辺だから自慢するのやめようねwww

<原文>
*第一段
いでや、この世に生れては、願はしかるべき事こそ多(オホ)かンめれ。
御門(ミカド)の御位(オホンクラヰ)は、いともかしこし。
竹の園生(ソノフ)の、末葉(スヱバ)まで人間の種(タネ)ならぬぞ、やんごとなき。
一の人の御有様はさらなり、たゞ人(ビト)も、舎人(トネリ)など賜はるきはは、ゆゝしと見ゆ。
その子・うまごまでは、はふれにたれど、なほなまめかし。
それより下(シモ)つかたは、ほどにつけつゝ、時にあひ、したり顔なるも、みづからはいみじと思ふらめど、いとくちをし。



イケメンがモテるというのはうそ。現実は喋りがうまくて聞き上手なのがリア充候補。
逆にイケメンでもDQNはNGね。家とか顔とかは生まれつきだけど、性格はがんばれば何とかなる。
だた顔と性格がよくても低学歴はすぐに論破されるよね。ざまぁwwww

<原文>
人は、かたち・ありさまのすぐれたらんこそ、あらまほしかるべけれ、
物うち言ひたる、聞きにくからず、愛敬ありて、言葉多からぬこそ、飽かず向(ムカ)はまほしけれ。
めでたしと見る人の、心劣りせらるゝ本性見えんこそ、口をしかるべけれ。
しな・かたちこそ生れつきたらめ、心は、などか、賢きより賢きにも、移さば移らざらん。
かたち・心ざまよき人も、才(ザエ)なく成りぬれば、品(シナ)下り、顔憎さげなる人にも立ちまじりて、
かけずけおさるゝこそ、本意なきわざなれ。


【第10段】
住みやすい家は、仮住まいでも愛着がわくよね。
イケメンがさわやかに住む家には月の光すら神々しく見える。
別に作りがめちゃめちゃおしゃれとかじゃなくてもいいから、年季の入った木があって、
自然な感じの庭があって、すのことか垣根とかがさりげなく配置されてて、
調度品もレトロ調なのが普通に使われてるようなのがマジかっこいいと思う。
匠の世界に出てきそうなレア物の家具とか並べて観葉植物とかこれ見よがしに置かれてもねぇ。
さすがの俺でもちょっと引くわ。っていうか住めって言われてもムリwwwww
どうせそんな家すぐに取り壊されて更地になるだろwwww
だいたい家見たら住んでる人間の程度が知れるよねwwww


*第十段
家居(イヘヰ)のつきづきしく、あらまほしきこそ、仮の宿りとは思へど、興あるものなれ。
よき人の、のどやかに住みなしたる所は、さし入りたる月の色も一きはしみじみと見ゆるぞかし。
今めかしく、きらゝかならねど、木立(コダチ)もの古(フ) りて、わざとならぬ庭の草も心あるさまに、
簀子(スノコ)・透垣(スイガイ)のたよりをかしく、うちある調度(テウド)も昔覚えてやすらかなるこそ、
心にくしと見ゆれ。
多くの工(タクミ)の、心を尽(ツク)してみがきたて、唐(カラ)の、大和(ヤマト)の、めづらしく、
えならぬ調度ども並べ置き、前栽(センザイ)の草木まで心のままならず作りなせるは、
見る目も苦しく、いとわびし。さてもやは長らへ住むべき。
また、時の間(マ)の烟(ケブリ)ともなりなんとぞ、うち見るより思はるゝ。
大方は、家居にこそ、ことざまはおしはからるれ。



というわけで、こうした形の文章なら、みんな覚えられるのに・・・
とか思っているのは私だけじゃないはず!!


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Posted by くみちょう at 18:00Comments(0)TrackBack(0)教育

2008年06月21日

さすがにこれは・・・

>生徒にけがをさせようという意図はなかったが
怪我をさせる意図がなければ許されるのなら、交通事故はほとんど無罪ですよね。


はい、いきなりのスタートでなんのことやら。。。
と思うかも知れません。それはこんなニュースから。



市教委によると、教諭は12日午後1時55分ごろ、校舎二階の非常階段の踊り場で遊んで
いた男子生徒3人に、授業開始が迫っていたため教室に戻るよう注意した。
生徒は抵抗し、教諭があきらめて非常階段のドアを開けて中に入ろうとした際、生徒の1人が「ばばあ、どっか行け」と言いながらドアを強く押して閉め、教師は右手の人さし指を挟まれた。すぐに救急車で病院に運ばれたが、指を切断しており、重傷という。


「ババア、どっか行け」 生徒が閉めたドアで女性教諭が指切断の重傷 教委は「生徒に口頭で注意した」…堺
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1140011.html






これなら、私が高校時代におこした交通事故も、無反省でいいわけですよね?
「だって、悪意があったわけじゃないし、この子よりも無罪度合いが強いですよね。」

というわけで、さすがにこの対応はどうなのかなと。

たしかに、ここからは読み取れない生徒の事情などもあるとは思います。が、
では日ごろからいい子だったとして、それでも「指切断」という状況を招いた子に対して、
「口頭で注意した」レベルで済むって、どういうことなのだろうか・・・


私は、自分が小さい頃にしてきたあやまちはたくさんあります。
でも、その一つ一つが、怒られて、自分の中で反省することができたから、今があります。

人を傷つけるということの恐ろしさを知らずに
人を傷つけてもいいんだという考え方をもったとしたら

それこそ、おそろしいことになるのではないでしょうか。


私は、交通事故を起こした際、
「もし相手が死亡したら・・・」
そう考えると怖くて怖くて、その日は寝ることができなかったのを、いまでも覚えています。
前方不注意で、しかも自転車で・・・

高校生ながらに取調室で職務質問・・・
こっちはなすすべなく警察による「誘導尋問」によって調書が埋まっていく・・・
「そうじゃない!!」って思っても、「だから事故をおこしたんでしょ?」と言われて止められる。

当時、高校生の自分には、責任として受け止めるには重く、
「相手も避けられたんじゃないのか」といった気持ちも浮かんできました。

事故当時は「いいよ、悪気があったわけじゃないんだから・・・」と言っていた相手方も、
次の日には「慰謝料払ってよ!!そっちが全面的に悪いんだから!!!」
と急変したことも、いまでも心の中に刻まれています。

「二度と交通事故はおこしたくない」

そうした強い想いを持ったのは、そこからです。

この事件をおこした子どもが、そしてそれを見ていたほかの生徒たちが、
この事件を糧に成長してくれることを、なによりも望みます。

その成長のために、口頭の注意で済むのかどうか、
そこはもうちょっと考えるべきことなのではないかと。

そんなことを感じた事件でした。


うーん・・・
あまり人のことをとやかく言いたくはないですが、
なんだか今回の事件に関しては「ちょっとどうなのかな・・・」と思う部分が
見え隠れしているので、取り上げてみました。

もしこれが、単に「教育委員会の責任逃れ」のためだけに出てきた結果ならば、
そんな現状の教育界なんてなくなっていいと、本気でそう思います。

子どもの成長よりも、責任追及を恐れるようになったら、
それはもはや学校とは言えないのですから・・・


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2008年06月19日

世界は私の手のひらの中に

今回は、非常にまじめな、その上長い話です。


先日、お聞きした話です。


或る医師が未開地域の医療活動にボランティアで行った。
彼の働きでその地域で病死する人の数が少なくなった。
その村の人は大変喜び感謝した。

医師が帰国し数年が過ぎた。

そして,また,その村を訪れると,村人は怒っている
病死する人が減ったお蔭で,村の食料が足りなくなったのだ。
良かれと思ってしたことで,それまではバランスの取れていた村の食糧事情が危機的な状況になってしまったと言う訳。

あなたは、どう思いますか?


村人はなぜに怒っているのか。
そしてこの医師がやったことはまちがいだったのかどうか。

みなさん、考えることはたくさんあると思います。

命を救うことは大事だ。という人。
勝手な行動をして押し付けだ、という人。
村人は好き勝手に言いすぎだ、と感じる人。


答えは、みなさんが感じる一つ一つ、それが答えだと思います。
このことに対する答えが必ずひとつで無ければならない、ということではないし、
よいか悪いかの二択でしか考えられないということでもありません。


ただ、私は、この問いかけに対して、ひとつ考えることがあります。
それは「あなたの人生は、誰がつくっているのですか」ということ。


村人が喜び・怒っている姿、そこに「自分たちでやりたい」という意思があるのかどうか。
私は、この文章からはそれを感じ取ることができませんでした。

本当に「病気や飢え」で苦しみ、『なんとかしなくては』と感じている人であれば、
「医療」が充実したことで、「次は飢えをなんとかしよう」と行動を起こしたのではないか。
医師が『勝手に』「苦しんでいる」と判断してしまった「だけではないのか。
そして、医療が充実したことに感謝すれこそ、怒るなんてありえないハズ。


これは教育問題にも考えられます。

子どものためによかれと思ってやってきたことが、「勝手にそんなことしやがって」と、逆に恨まれる。
その根本に何があるのか。
それは「本人の意思が感じられない」ということです。

子どもが自分の意思で「これが足りない」「あれが足りない」「何とかしなくては」と感じている。
それを「なんとかする手伝いをする」ということならばいいですが、
ついつい「よかれ」と思ってしてあげていませんか、ということ。

自分で解決をしようとして、もがき、苦しみ、しかしどうしてもできない。
その時に手助けをしてくれた、ということだったら、当然、その後の結果がどうであれ、感謝するでしょう。
しかし、それが単に「やってもらえた、ラッキー」程度の感覚であるならば、
それは本人が欲していたことではないので、後になって
「あんたのせいで今こんなになった」
「あの時してくれたんだから、今度もしてくれるんだよね」
という姿勢が生まれてしまうのではないでしょうか。


そこに、「自分の人生を自分でつくっている」という感覚はないように思えます。

「自分の人生は自分でつくるもの」
「人に左右されるものじゃない」

こうしたことを感じ取れるようになるためには、
「問題は自分で解決する」という姿勢が必要だと、そう思います。

本当に必要だと感じていれば、人は自分でなんとかしはじめるもの。
「これがいいかも」なんて先回りしてどうこう考えるのは、むしろよくないのではないだろうか。

「自分の人生は自分で変えていく、つくりあげていくのだ」





たった一人の医師が動くだけでも、村ひとつが変わる可能性がある。
いまの世の中に不満があるならば、自分が動けば世界は変わる。

そうした、世の中の主体としての自分を持つことができたら、
今回の事例も、問題が問題でなくなるように感じています。


「自分が見上げているように見える世界は、実は自分の手のひらの中にある」

そんな気がしています。

「自分の人生をつくることが、世界をつくることにもなる」と。


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2008年06月01日

「貨幣を通じて現代社会の問題点を捉える」

この記事そのままでも読めますが、できればこの前の記事もあわせて読むと、
より一層わかりやすい内容になるかと思いますので、参考にしてみてくださいませ。


【あなたの価値はどのくらいありますか】

あなたは、こうした問いかけをされたら何て答えますか?


「そんなこと言われてもわからないぞ」
と言う方は下記の例を参考にして、考えて見てください。どれが近いかな。

1。「いまの自分の年商が○○で、資産が●●あって、家族環境が◎◎、だから~円だな」
2。「いま、臓器移植でかかる費用が身体の部位別にわかるから、合わせればいくらか判断できるね。」
3。「一生涯に自分が稼ぐと言われている生涯賃金が○○くらいだから・・・~円かな」
4。「自分の人生の価値は自分で決める。だから、お金なんかじゃ計算できない。」


どうですか?自分なりの回答って出てきましたか?

4あたりはかっこいいですよね。私は断然、これです!!
(・・・ごめんなさい。言ってみい年頃だったんです ^^;)


「自分の価値は?」と問われてお金以外で表現できた方、どのくらいいらっしゃいますか?はい、そうです。気づいた方もいらっしゃると思いますが、
世の中の判断基準、それが「お金」になっているのです

「そうは言っても仕方がないじゃないか。それ以外に表現方法がないんだから。」

そう、まさにそこに現代社会の問題点が隠されているのです!!!

本来、自分の人生をどういったものにしたいのか。
誰しもが「幸せな人生を送りたい」ハズです。これは間違いが無い。
しかし、その幸せの定義って、誰がしているんですか?自分です。
人それぞれ幸せの定義は違います。

その幸せって、お金で買えるのですか?
いくらあればあなたの考える「幸せ」は手に入るのでしょうか。

すばらしい旦那さん・奥さんと結婚して、いい家庭を築き、いい子を育てて、
老後は悠々自適な生活をおくり、静かに、おだやかに息をひきとる・・・・









これはたとえですが、こうした自分の人生のプランが人それぞれあると思います。

結婚よりも仕事が充実した生活を望んでいる人もいると思います。
そうしたそれぞれの人生を、人から客観的に「お金」として判断されて、
「あなたの人生は【○○円ですね。】」
と言われたら、あなたはどう思いますか?

そうじゃない!!!と反発する気持ちが起こるのではないでしょうか。


【あなたの価値はどのくらいありますか】

改めてこうした問いかけをされた時、あなたは思わずお金で考えたと思います。
なぜならば、現代社会はお金が基準になっているから。





「貨幣とは何か」というところで考えてみました「貨幣の利便性」について、あらためてみてみます。

なんでお金って使われているのだろうか、という問いかけについて、
あまりにも便利に交流ができるツールであるがために、その利便性が行き過ぎた形で、
「お金が単なる道具である」というところから「お金に支配される」形がつくられてしまっているのです。


このことが、「現代社会の問題点」として、根本を成しているのではないか。

お金に代わる「価値基準」ができないといけないのではないか。
いや、そもそも「お金」を価値基準として比較対象する必要はないのではないか。
そうしたことをもっともっと、考えていくことで、
現代社会の問題点は解決していくのではないかと、そう思います。


その具体的事例として、
【お金を必要としないコミュニティ(社会)とは】

ということを、このあと考えて見たいと、そう思います。


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2008年06月01日

貨幣とは何か









708年、埼玉県秩父地方にて、日本で初めて銅が発掘されました。
そのことを記念して、時の元名天皇は日本産の銅ということで元号を「和銅」とし、日本初の流通通貨をつくりました。
それが「和銅開珎」です。

今年は、日本初の貨幣である「和銅開珎」ができてちょうど1300年という節目の年。
そこで、和銅開珎にちなんだ遺跡や神社などを巡りながら、「貨幣とは何か」について考えてきました。

【貨幣の三つの価値】
価値尺度として
価値の保存・蓄積
交換の媒介

経済用語を並べたところで面白くもなんともないと思いますので、「なんで貨幣が使われ始めたのか」を、貨幣がない状態としてシミュレーションしてみましょう。

あなたは牧場で牛を飼っているとします。
ある時、そこにAさんが来ました。「牛肉食べたいから牛が欲しいんだけど」
「おれは米をつくってるからさ。米と牛を交換しようよ。」

さて、あなたはどうしますか?

1。「どのくらいの量と交換するの?それによって決めたいんだけど」
2。「いま交換したら食べたい時には腐ってしまう」
3。「米は欲しくないから交換しない」
4。「いいよ。交換しよう」

たいてい無条件ではなく、1〜3の条件をなんとかしない限り交換が成立しないことが考えられます。それぞれ解説してみましょう。
1。交換するものがそれぞれどのくらいの価値があるのか。その価値を比較検討し、お互いが妥当と考えることが必要になります。

2。水や食料ならばどうしても腐ってしまう。腐らずに保管できないと欲しい時に交換できません。

3。交換したいものを相手が必ず持っているとは限りません。逆に相手が欲しいものでないために交換ができないでは困ります。誰とでも交換が成立することが必要になります。

こうした条件を満たしたツール、それこそが「貨幣」になります。


さて、この3つの条件を基本として、次に現代社会の問題点について考えてみましょう。


「貨幣を通じて現代社会の問題点を捉える」に続く


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2008年04月18日

『夢の実現を促すミーティング技術』





『夢の実現を促すミーティング技術』

「夢の実現」・・・。みんなが思い描くことであり、なかなか雲を掴むような
思いになったことはありませんか?
少なくとも、夢の実現には仲間が必要です。

その時、必ず必要になる仲間との打ち合わせ、うまくできていますか?

今回は、その方法を会議コンサルタントの齊藤正明さんに教えてもらいます。


「熱血!!青山塾」
http://www.aoyamajuku.com/index.html

というわけで、私も参加しております「熱血!!青山塾」主催で、
『夢の実現を促すミーティング技術』
というセミナーを開催いたします。

講師は「斎藤正明」さん




(齊藤さんはこんな方です)

某海洋研究所でサラリーマンをしていた際、会議中の所長の無茶な一言で、
まぐろ船に乗る経験をする。

その際、「なんて、無茶な要求なんだろう。会議をうまくできなくて、
困っている人は自分の他にいっぱいいるんじゃないのか。
同じ思いをして欲しくない」と思ったことが、会議技術(ファシリテーション)との出会いとのこと。

現在、企業の業績向上と社員の幸せを両立させる為の会議術を世の中に普及している。
企業、大学、官公庁、問わず幅広く、研修、講演を行っている。
DVD『売上げUPの会議術』は5人~30人までの中小企業に高い評価を受けている。

●セミナー後、得られるもの:
   1.夢をアドバイスする側、される側が楽しくなるミーティングのスキル
      (仕事でも使えるスキルです)

   2.自分だけではなかなか解決できなかった問題が解決できる
      (例:今後の起業に向けた具体的な行動プランやプレゼンテーションの
         プレゼン資料をみんなにみてもらい、改善点のアイデアをもらう など) 

   3.次回セミナー開催時(5月予定)の夢実現のためのプレゼンテーション権
      (※希望者のみ)

●日程: 平成20年4月19日(土)
       ※次回開催は5月24日(土)に予定(同会場、同時間)
●時間: 13:30~16:00まで(受付13:10~)
●準備物:
   1.熱い心
   2.やりたくても出来ていないこと、ちょっとした悩み
●場所: LEC水道橋校C-21教室⇒地図はこちら
●懇親会: 居酒屋てっぺん女道場(渋谷)⇒http://www.teppen.info/
●時間:   16:45~

●プログラム
  ▼13時30分~ セミナー開催にあたって(青山塾からのメッセージ)

  ▼13時40分~ 第一部 【夢を実現させるための価値のあるミーティングの方法】

  ▼14時40分~ 休憩(30分)

  ▼14時50分~ 第二部 【実践!-お互いの夢を支援しよう-グループディスカッション】(30分)

  ▼15時50分~ 質疑応答(10分)

  ▼16時00分   終了

  ▼16時45分~ 「居酒屋てっぺん女道場」朝礼参加(第三部) → 懇親会




--------------------------------------------------------------------------------

●対象者: 
  ・夢をどのように実現すればいいか悩んでいる方
  ・就職後、お金ではなく、社会に貢献していきたいと考えている学生の方
  ・仕事をより充実したものにしたい方
  ・会議技術に興味のある方


●定員: 30名 懇親会のみの参加も大歓迎です

●料金: 学生:1,000円(学生証をご持参下さい 当日現金にて)
      社会人:3,000円(当日現金にて)
      懇親会:4,000円(当日現金にて)

●印刷できるPDF版セミナー案内はこちらから → 【夢の実現を促すミーティング技術PDF】

   ※お金のお支払いは当日、会場でお願いします。
     尚、当日は混雑が予想されますのでお早めにお越し下さい。


--------------------------------------------------------------------------------

日程: 平成20年4月19日(土)
時間: 13:30~16:00まで(受付13:10~)
場所: LEC水道橋校⇒地図
料金: 学生1,000円 社会人3,000円
     (税込み・当日現金にて)



どうですか、なんておもしろい経歴でしょうか!!
まぐろ漁船なんて、乗ってみたいですよね?(笑)えっ、そっちじゃないって?

とにかく、興味がありましたら今日の明日で忙しいですが、
こちらまでご連絡いただけたらと思います。

熱血!!青山塾 受付担当 小松 090-2629-7164 skomatsu@soeinet.jp

興味がありましたらぜひぜひ聴きにきてくださいませ。


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2008年04月16日

集中してやっていました。





先日の記事に紹介いたしましたが、
「戦国時代の日本地図」に、「大名による勢力図」を色塗りしていました。

色塗りと言っても、単に分かっているものを書き写して塗るだけではありません。
歴史の本を読みながら、自分で資料を探し出して塗ります。

「15○○年の△△という戦いの時には、■家と□家が戦い、それによって、
~という地名の場所は、□家の領地となった」

これを探し出すだけでもけっこうタイヘンなんですよね。
でも、子供は自分の好きな歴史についてのことなので、楽しみながら調べて塗っていきます。
気が付いたら2時間が経過していました。

単に「戦国武将が好き」、ということから、日本国内の地理的条件がだんだんと頭の中に入ってくる。

自分の好きなことからだんだんと知識の幅を広げていく。
個別指導だからできることですが、こうした形で本人の意思を尊重した教育ができれば、
子供たちの才能はもっともっと伸びていくんじゃないかなと感じています。






ぷちおと
http://putioto.gunmablog.net/


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Posted by くみちょう at 14:00Comments(0)TrackBack(0)教育

2008年04月14日

旧地名って、わかりますか?





このあたりが上野(こうずけ)と呼ばれていたこと、知っていますか。

戦国時代が好きだとこういうの、よく知ってますよね。
だけど、そうじゃない人はまったくしらなかったりして・・・


でも、昔の地名は、いまでも残っているもので・・・

「関越」「総武」「上信越」など、高速道路や鉄道の名前に関しては、
けっこう多く残っているものですよね。

「関東と越後を結ぶから関越」「房総と武蔵を結ぶから総武線」「上野と信濃と越後を結ぶから上信越」などなど。

昔の地名を知っていると、いまでも役に立つことってけっこうあるわけですよね。

さらに言ってしまうと、地名というのはその場所の特徴を表すことが多い。

「坂本」という地名は、たいていの場合、宿場町において、山を登った・降りたの入り口となる場所を指していたり。

そうした旧地名の由来を調べていくだけでもけっこう面白いものだったりします。

というわけで、私たち群馬県の由来であるところの「上野をたどってみましょう」

<以下、ewikipediaより>
毛野国・毛国(けのくに、けぬくに、けぬのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった国の一つである。単に毛野(けの、けぬ)とも。
律令制下では上野国と下野国が置かれ、合わせて、あるいはどちらかを毛州(もうしゅう)と呼ぶ。合わせて両毛(りょうもう)とも言うが、現代ではこの語は上野と下野の境界付近の狭い地域を指すことが多い。
古墳時代、毛野国は毛野川(現在の鬼怒川)流域一体に勢力を有し、一つの文化圏・毛野王国を形成していた。

毛野国の名称の由来は諸説ある。主なものを以下に挙げる。

かつてヤマト王権から毛人の住む地として毛の国、二字表記にして毛野の字が当てられた。
毛は二毛作の毛、即ち禾本科の穀物を指す。昔この地域が穀物の産地であったことから毛野の名をなす。
この地は豪族毛野氏(けぬし)が治めていた。毛野氏は豊城入彦命の後裔とされる。吉備氏、筑紫氏と並ぶ大豪族だった。

毛野国は後に上毛野国(かみつけぬのくに、後の上野国)と下毛野国(しもつけぬのくに、後の下野国)に分けられたとされる。534年(安閑天皇元年)、上毛野国(太田天神山古墳)は武蔵国造の乱で敗れた。一方、下毛野国では下毛野朝臣古麻呂が大宝律令の選定に参加して、大和朝廷の誕生に大きく関与した。

それが「かみつけのくに」→「上野(かみつけ)」→「こうずけ」と変わり、
県が設置されたときに「群馬県」となったという。

ということなのですが、さらに個人的に追求して調べていくと、次のようなことになります。
「多胡の古碑」で有名な甘楽町、吉井町についてですが、

実は群馬県のあたりは、大和朝廷の頃は非常に栄えた地域のひとつであり、
それは渡来人(朝鮮系技術者たち)が多数移り住み、繁栄したことに由来します。
甘楽町という地名は、古来の「高麗(から)」からきている音が残った地名であり、
そのあたりも旧来の地名から指し示されたものであったりします。


なんて、地名ひとつから自分たちの住んでいる地域のこと、文化や伝統などを
呼び覚ましていくこともまた面白いと思います。

教科書からは学べない、おもしろ地域情報でした。



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2008年03月16日

子どものことを本当に大切にできるかどうか










昨日は、うちの学院が「子育てサロン」となっていました!!
子どもたちのはしゃぐ姿、
「こっちきてー!!遊んで~!!!」
袖を引っ張る子どもの姿と、その笑顔。


「そうですよね。子どもの笑顔でがんばれる自分がいます。」
「子どもと触れ合うと、自分も癒されますよね。」
「仕事が忙しいんだ。」
「たまに遊ぶからそう対応できるんだ。」
「わかってるけど、そうはできないのが現実だ」

ご家庭によって様々な反応が返ってくると思います。
確かに、現実を見たら仕事が忙しく、疲れて帰ってきたところを騒がれたら
「ちょっと待て、休ませてくれ」となるかもしれません。

けれど、ちょっと待ってください。

そもそも、なんで子どもがいるのでしょうか?

「子どもが欲しいから」
「できちゃったから仕方なく」
「次世代を育てなきゃ」
「特に理由はない」
「愛の結晶として、夫婦で育てたいから」

これも、それぞれのご家庭の事情というものがあるでしょう。
あまり積極的に子どもを育てたいという想いではないご家庭も、残念ながらあるかもしれません。

だけど、この根本の部分で感じたことを、想いを、もう一度心に浮かべてみてください。

生まれてきた瞬間の喜び、感動。

この瞬間は、本当にすばらしい瞬間だったと思います。

誰も自分の子どもを「どうでもいい」と育てることはないと思います。
ならば、疲れていても子どもと接することをどんどんと増やしてください。
こっちを向いてくれる親の姿を見て、子どもは絶対に笑顔で返してくれるものですから。

人が成長するために絶対に必要なこと、それは「安心できる拠点」

どんなにタイヘンなことがあったとしても、そこに戻ってくれば安全・安心だという場所。
それがあるからこそ、色んな場所に出かけたり、挑戦したりすることができる。

そこを抜きにして、「勉強しろ」「もっと人と関われ」などと言っても無理です。

安心できる場所がないのに旅に出る。
それこそ、旅から旅へと、自分の居場所を求めてうろうろとさまようことになります。
その結果として、安易に「安心できそう」というところへと転がり込み、
騙されていいように利用されてしまう結果を招いてしまう。

安易に身体を許すというのも、身体的つながりに、安心感を求めた結果でしょう。
よくわからない団体に所属してしまう、宗教にはまってしまうのも、精神的安心を求めた結果でしょう。
ひきこもってしまうのも、安心感が得られないから、外に出ることが怖くなるのです。

そうならないためにも、あまやかすことと安心できる拠点としての意味の違いを感じた上で、
安心できるように、子どもと接してみましょう。

では、どうしたら子どもが安心した拠点となることができるのでしょうか。
それは、具体的な接し方がどうこう、ではなく、「子どもと向かい合うという姿勢と気構え」にあります。

子どもは敏感です。自分と向き合ってくれる、自分のことに真剣になってくれる、
と感じた人に対しては必ず『笑顔』で迎えてくれます。

立派な子育てをしようだとか、そうした意識・知識は必要ないのです。
「子どもたちと精一杯向かい合うこと」そのことだけで充分なのです。

「めんどくさいな」とか「適当に相手しておこう」
そういった心をもった瞬間に、子どもから笑顔がなくなります。


「子どもの笑顔は最高のカウンセラー」
「子育ては、子どもを育てるとともに、親も育てる共育である」


子どもの笑顔に触れてください。
子どもと向かい合ってください。

「自分のことを大切にしてくれた」

その気持ちを子どもに抱かせることができたら、方法で悩む必要はなくなります。


「頭がよくて、人を大切にできて・・・・」
理想の大人像を、勝手に子どもに貼り付ける前に、そういった「大切にすべきこと」に目をむけ、
子どもから笑顔を向けられれば、次の日の子育てもがんばれます。

そういった子育てを行えるような日本にしたいなと、そう感じて日々の活動を続けています。


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2008年03月08日

これから旅立つ君たちへ





<本日、修了式を迎える二人に向けての言葉です。
個人情報保護の観点から、生徒の名前はイニシャルにさせていただいております。>

二人がこの学院に入学してから、早3年という月日が流れました。

今では、「通ってきて当たり前」という感覚でおりますが、
はじめて学院に来た時、はじめて面談をした時は、不安でいっぱいだったと思います。

それまでは、不登校・引きこもりという状況にいた自分。
そのことを悩み、なんとかしたいと思いつつも、なかなか一歩を踏み出せなかった。
そんな当時を思い出すと、はじめの一歩は、相当の勇気を振り絞ったものと思います。

勇気を振り絞り、なんとか出てきた当時のことを思い出すと、
今、この場に二人がいるということ、このこと自体が、
まさに二人が努力の続けてきた結果であると、成長した姿なんだなと、そう感じています。


Fさん、あなたにはじめて会ったとき、ゲームや漫画が好きという話をしましたね。
其の時にはまだ「先生という立場の人が、本当にそんなこと知ってるの?」という顔をしていたのを思い出します。
でも、だんだんと打ち解けて話をしていくと、笑顔で話をしてくれるようになりました。
今では冗談を言うと、「先生、またそんなことを言って・・・」とつっこみを入れてくれるようにまでなりました。
このことは、あなたが成長した証だと感じています。

つっこみというものは、相手との心の距離が大切です。
相手のことを知らず、適当につっこんだりしたらそれこそ相手を傷つけてしまいます。
「つっこみができるようになった」ということは、「相手との心の距離感をつかめるようになった」ということです。

また、はじめは人の姿を見て、「嫌だ!!」と思ったらその感情が直接表に出ていました。
でもそれもこの三年間でだんだんと、表には出さずにがんばれるようになりました。

「嫌だな」とか「それはちょっとできないかも・・・」そうした感情を抱くのは人として当たり前です。
だけど、その感情をそのまま出していては成長はありません。
コントロールして、「うまく相手に伝えることができるようになる」
そのことが、人と人とのコミュニケーションにおいてもっとも必要とされることです。
あなたは、その感情のコントロールができるようになってきました。
「ああ、がんばってるな」と感心していました。

これからは、得意な水泳、スキーを活かし、もっともっと色んな人と触れ合うようにしてください。
そして、「心の距離感のつかみ方」に、「感情のコントロール」に、もっともっと磨きをかけてください。
あなたならこれからいくらでも成長していく。そしてすばらしい女性へと成長していくと、そう感じています。


Yさん、あなたは本当に心がやさしい人です。
あなたがうれしそうにリー(犬)とミー(猫)の話をするのを聴いているだけで、
こちらもふんわりとあたたかい気持ちに包まれてしまいます。
動物のお世話をしたいと、そう努力し、通信で資格を取得したのもすばらしいことです。
あなたのそのやさしさは、他の人なら気づきもしないようなところにまで配慮が行き届いています。

ただ、時にそれが行き過ぎてしまい、自分自身を苦しめてしまう部分もありました。
あなたのやさしさが自分自身を苦しめているその姿に、私たちも苦しい思いをしていました。

これからも、そのやさしさによって、人のことを考えすぎて悩み、苦しくなってしまうことがあると思います。
でもそんな時には、「あなたのそのやさしさで救われている、あたたかい気持ちになっている人がいる」ということを思い出しでください。
私たちはみんな、あなたのやさしさによってあたたかく、癒された気持ちになりました。
そんな感謝の気持ちを与えることができる自分というものに、もっともっと自信を持ってください。
あなたは充分、社会に出てやっていけるのですから。



日差しも暖かくなり、寒さも和らぎ、木々も芽吹きはじめた、この春のよき日、
二人は、当学院の過程を修了し、社会へと巣立っていくことになります。

Fさん、Yさん、二人はここで学びとったこと、成長したことに自信を持って、
これから社会の中で活躍していってもらいたいと、そう思います。
また、活躍する中でより一層の成長もして、その成長した姿を見せに来てくれたら、
私たちにとって、この上ない喜びとなります。

最後となりますが、私からのはなむけの言葉として、次の言葉を贈りたいと思います。

「最大の名誉はけっして倒れないことではない。倒れるたびに起き上がってくることである」

はじめて二人がこの学院に訪れた時の、その一歩を踏み出した勇気を思い出し、
例えこの先、どんなにタイヘンなことが起ころうとも、
一度はできないかもとくじけることがあったとしても、
そのたびに立ち直り、また次へと進むことを信じています。

二人の前途を祝して、今後のより一層の成長を祈念して、式辞とさせていただきます。

平成20年3月8日 藤岡緑陵学院 理事長 小松愼二


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2008年03月01日

一生で一番役に立った習い事は何?

私は塾や習い事には一切行っておりませんでした。

兄弟の間でも唯一です。私だけが何もしてきませんでした。
考えてみると当時の私は、塾や習い事に一切興味がありませんでした。

「勉強は、わからなければ先生に聞けばいい。」

そう思ってやってきた部分がありました。


が、この年齢になって、つくづく「習い事はやっておけばよかった・・・」と感じています。

ピアノ・水泳・華道に茶道、こうしたことをやっておけば、
今必ず人生がより豊かになっていたなと。

しかし・・・いまだからこそ感じることであって、
なかなか小さい頃、当時からそのことを感じてやることができるかというと・・・難しいですよね。
そうなると、親が「これはぜひうちの子にやらせておきたい」と考えて習わせるものなのかなと。
でもやるからには、それが「おしつけ」にならないで、「よかったな」と思えるようなものにしたいですよね。
それっていったい何があるんだろうか。

というわけで、習い事をしている人たちにとって、
「これはやっていてよかった」と思う習い事を調べてみました。





「一生で一番役に立った習い事は何?」
http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51243912.html


○書道は確かに!丁寧な字書いて悪いことなんて一つもない。
○習字 最近はほとんど手書きはしないけど、その少ない機会でも確実に役に立ってる。
○小中の頃百人一首を五年くらいやってました おかげで古文漢文の授業は楽だったですね
○空手。一応2段までいった。 あと大学で始めた棒術。やっぱ体動かすのは楽しいね。
○料理に決まっている
○会社で一番字が綺麗なのが私なんだけど、不思議なほど、仕事が出来る人に見られる。
○バレエ。小さい頃からやってたから体が柔らかくなって、ちょっとやそっと転んでも怪我しない。
○少林寺拳法かな。痴漢に襲われた時助かった。
○ピアノだな 前、旅行先に中古のピアノ屋があって弾かせてもらってたら音大生と間違われてちょっとうれしかったな
恥ずかしながら55歳にして水泳クロールをマスターできました。
もう手遅れとあきらめていたのに、スポーツクラブの20代の先生達有難う。ホテルのプールでエレガントに泳ぐと最高の気分よ。

○習い事は『柔道』です。今講道館柔道三段、心身共に強くなれる。進学、就職に有利!


ということで、見ていると「ピアノ」「書道(習字)」という意見が多いかなと感じています。
私自身、音楽はまちがいなく人生を豊かにするなと感じているので、
今からでも合間をみてやりはじめたいなと感じています。


が、みなさんの意見を読んでいてやはりつくづく感じたこと、それは
「本人のやる気がないのに無理やりやらされると成果は出ない」
当たり前のことだけども、やはりこれが一番なんですよね。


○習字→硬筆だと字は下手なまま。意味なかった。
塾→6年間頑張ったがついていけずやめた。意味なかった。
水泳→5年間ヤってとりあえず泳げるようになったが体力は特に増えず。
剣道→3年間シゴかれ少し根性ついたと思う。
しかし今は使わなくなった臭い防具が部屋の隅にあるだけ。見ると思い出してちょっと鬱になる。でもまあこのなかでは一番よかった。
自分からやろうと思った剣道以外は全て親にやらされてた。
やっぱ自分からやろうとする気持が大切だと思う。
補足として、うちの姉は5年間(?)ピアノをやっていたが今はピアノに触れもせず、我が家のピアノは負の遺産と化している。


人間、最後は自分の気持ちが一番大事なんだなと、つくづく思い知りました。
あー、いまのやる気を子どもの頃に持って行きたいなぁ・・・

でも、子ども時代に習い事をせずに野山を駆け巡っていたおかげで身についたこともたくさんあるので、
それもまたよし、なんですけどね。


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2008年02月24日

チェーンメールを信用してしまう理由





 知人の弟晴くん(3歳)が『急性リンパ性白血病』になってしまい、
 16日に昭和医大に入院しました。
 晴くんの血液型は足りなくて、治療を進められない状態です。
 早急に同型の血液が欲しいのです!
 職場や親戚の方などでおられたら、ご協力いただけないでしょうか。
 もし同じ血液型の方がいた場合のやり方としては
 普通に街角にある献血所や車で献血をしてもらいます。
 それが血液を管理する中央部に集まって検査の後、
 2,3日くらいで使えるようになるとのことです。
 お忙しい中とは思いますが、
 どうかどうか緊急を要した内容をご理解いただいて、
 ご協力よろしくお願いします。


「3歳の子助けて」チェーンメール、日赤にも電話殺到
http://www.asahi.com/national/update/0222/TKY200802220284.html

RhマイナスB型の血液不足で3歳の子どもが手術を受けられない、という「チェーンメール」が流れたことで、入院先として名前の挙がった病院だけでなく、献血事業を行っている日本赤十字社にも問い合わせ電話が殺到、22日になってホームページに「輸血用血液は不足していない」と掲示するなど対応に追われた。各医療機関は冷静な対応を呼びかけている。


というわけで、なんでこれに反応したのかというと・・・
「私のところにもきた」からです。

ただ、今回のチェーンメール、信用してしまいかねないポイントがあります。

それは「具体的な病院名、日付が入っている」ということ。
通常、人にうそをつくときには、ばれないように具体的なことは避けることが多いです。
「ホントにそうなの?」と聞かれたときに困るから。

しかし、今回のチェーンメールには、
「病院名」「病気の名前」「子どもの名前」「日付」「具体的な協力の仕方」が掲載されています。
そのため、「うそだとしても具体的すぎる」と考えてしまうのです。

「うそのつき方」、「人の騙し方」なんてものを研究したことがありますが、
こうした「具体的」な内容にされていると人は信用しやすいんですよね。

って、人を騙すためのテクニックではなく、本来は人に信用してもらうために必要なことなんですけどね。



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2008年02月21日

学校内部もがんばっている!!





先日、モンスターペアレンツのお話を紹介いたしました。
こちらの「ボス」さんも取り上げておりましたが、
冗談じゃすまないような親が増えてきている現状があります。

しかし、親もそうですが学校側に関しても、問題となる人たちはいるわけで・・・・

私自身、なぜ学校内部にならなかったのかと言われたら、まさにその通りなわけです。
が、学校内部でもがんばっている人たちはもちろんいるわけです。

教科書 一教諭の熱意、国動かす 小学校社会「縄文」復活
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080219/acd0802190841006-n1.htm

15日に発表された新学習指導要領案で小学社会に縄文時代が復活した。きっかけは平成17年、東京都内で開かれた日本考古学協会(会員約4000人)の総会に、1人の小学校教諭が議案を提出したことだった。

 「みなさんご存じでしょうか。いま、小学生が学ぶ歴史は弥生時代から始まります。旧石器・縄文を教科書に戻すように、協会として働きかけてもらえませんか」


すばらしい!!!いまはなんでも「無難に。問題になる可能性があるくらいなら改善の努力もしなくていい」
という社会的な風潮が強い中で、こうして行動へとつなげていくことができている人。

そしてそれで結果を出していく。

こうしたがんばっている大人の姿を見せることが、
「世の中ってつまらない」とか、「勉強しても意味ないじゃん」とか「社会ってくだらない」とか
「どうせ決められたものだから」などという発言を子どもたちから失くしていくことができると思っています。


今を生きる親たちが、現在の日本社会に希望を持っている限り、
子どもたちもそこに希望を見出すものです。

親があきらめたら、そこで子どももあきらめます。


「世の中は変えていける。
自分発信でどんどんと世の中をよくしていけるんだ!!」


そうした想いを強くもって、大人は子どもに背中を見せて生きましょう。

それが、親として、大人として、先に生きるものの絶対しなくてはならないことだと思います。  

Posted by くみちょう at 17:00Comments(0)TrackBack(0)教育

2008年02月19日

消えた一ドル





三人の男がホテルに入りました。
ホテルの主人が、一晩30ドルの部屋が空いていると言ったので、
三人は10ドルずつ払って一晩泊まりました。

次の朝、ホテルの主人は部屋代が本当は25ドルだったことに気がついて、
余計にもらった分を返すようにと、ボーイに5ドルを手渡しました。
ところがこのボーイは「5ドルでは3人で割り切れない」と考え、
ちゃっかり2ドルを自分のふところに納め、三人に1ドルずつ返しました。

 さて、整理してみましょう。三人の男は結局部屋代を9ドルずつ出したことになり、計27ドル。
それにボーイのくすねた2ドルを足すと29ドル。あとの1ドルはどこへいってしまったのでしょう?


  

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2008年02月18日

子どもに掃除をさせるな!!





子供に掃除をさせるのは、単に予算がないからでしょ。
そこに教育的効果を見出すのは幻想。
別に抗議はしないが、よくない風習だと思うよ。


「子供に掃除をさせるな」「担任の容姿が悪いから代えろ」 学校へのクレーム 理不尽な親に対策本格化…群馬
http://koerarenaikabe.livedoor.biz/archives/50972423.html

★学校へのクレーム 理不尽な親に対策本格化 解決支援に専門家
学校に保護者が理不尽な抗議や要求をするケースが全国的に増え、県内でも対策を本格化させる自治体が出てきた。太田市教育委員会は9月に、悪質な事例への対応策に関して助言や指導を行う専門家の組織「市学校問題解決支援隊」を発足させる。また、安中市教委は他県の事例を参考に独自の対応マニュアルを作成、7月に市内20の小・中学校に配布した。他の教委も、学校や教委が顧問弁護士と連携しながら解決にあたる態勢を整えつつある。

「子供に掃除をさせるな」「担任の容姿が悪いから代えろ」――。こうした理不尽な抗議や要求を行う保護者は「モンスターペアレンツ(怪物親)」とも呼ばれる。学校の業務に支障が生じたり、教師がストレスで体調を崩すことも多いという。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/news003.htm

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http://koerarenaikabe.livedoor.biz/archives/50917047.html



やったらやりっぱなし。使ったら使いっぱなし。
次の人のことは考えない。
そのことを指摘したら「新しいの使えば?」

彼らの要求に対応するために「学校を使い捨て」にすればとも思います。
一度きりの教員、一度きりの校舎、一度きりの教材。すべてを使い捨て。
「気にすることないよ。親がぜーんぶ払ってくれるから (^-^)」


なんて、投げやりな考え方をしても仕方がないのですが、
実際、モンスターペアレントは増えてきているようで・・・困ったものです。
が、現実問題としては、まだまだ「普通の親」のほうが多いわけで、
そうした親御さんまで、モンスターたちのために巻き添えになるのは勘弁願いたいものです。
権利ばっかり主張して、なーんにもしないバカ親に関しては、
公務執行妨害(公共の、みなさんのための教育機会を妨害した)ということで、
訴えたり、義務教育の範囲から外したりできないものなんでしょうか。

一部問題を起こす親御さんのために、他の多くの生徒たちの貴重な時間が削がれていく。
そしてそれにつきっきりなるために、先生も、そして学校も、社会までもが疲弊していく。

なんだかなぁ・・・

教育の機会均等、社会的格差の是正なども含めて、
そうした「社会的下位」になってしまう人たちをなんとかして救いあげるのが社会福祉だとしても、
ここまでくるとどうかと考えてしまうのですが・・・・

彼ら、言ってもわからない人たちをわからせるようにしなさいとの議論もありますが・・・
そこまでできてこその「教員」としての指導力が問われていると。


両方の意見を耳にしつつ、現実をみた場合に・・・
どうしても、彼らモンスターたちの意見など、一切気にしなくていいと思うのですが・・・
でも、もしそこを無視したら、マスコミがかけつけ、「親の意見を無視する学校」などと騒がれてしまうのが現状。
うーん・・・難しい問題です。

私は、掃除もさせなきゃいけないし、片付けもしなくてはいけない。
そうした厳しさをしってこそ、やってもらっていたありがたさがわかるようになるのだから。
めんどくさいことはすべてお金で解決。という姿勢は、なんとかしなくてはと思っています。

しかし・・・モンスター・・・すでに彼らは人間じゃないんだから、人間の法の適応除外でいいんじゃないんですかね?
いいすぎですか?(笑)



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Posted by くみちょう at 20:00Comments(0)TrackBack(0)教育