2010年11月24日

保育と教育

こんばんは。
今年から「学童保育」をやっているので、
いままで以上に「保育」と「教育」について
考えているくみちょうです。

保育と教育



「教育」と「保育」

いまは「一緒にしよう」という流れもありますが、
原則、まったく別のものです。

どちらも同じように思えますが、
(昔は私もそう思っておりました)
違うんですよね。

教育は、学校であって、「文部科学省」の管轄
保育は、保育園であって、「厚生労働省」の管轄

教育というのは、何かを教える必要があるわけで。
本人の自主性ももちろん尊重すべきではありますが、
原則、教え込むべきことを教えるのです。
ティーチングですから、一般的に必要だと思われる知識を詰め込むことが
どうしても必要になってくる分野ですね。

んで、

保育というのは、「子どもを預かる場所」です。
「教える」ということではなく、子どもを安全にお預かりすることが第一。


この違いが、上記の「合流しよう」ということとも踏まえて、
まぜこぜになっているのを感じます。

学童保育をしていても、
「保育」のはずなのに、「教育」を求められたり、
逆に、学校教育の現場において「保育」を求められたり。

もちろん、さくっと真っ二つに分割できるものではありません。
両者共に、兼ね備える必要があるわけで。
そして、保護者としては、安全に子どもを預けておきたいし、
その間に教育してくれるならベスト、ということになりますよね。

そうなんだけども、どちらを重視するかというのはあるわけです。

学校での子どもたちのあり方と、
学童などの保育部門でのあり方。

はてさて、みなさんはどちらを求めていて、
またはどちらを優先しているのでしょうか。

そして、学校にはどちらを望んで、
それ以外の場所ではどちらを望んでいるのか。

場所によってもかえる必要もあるでしょうし、
時によって変わることもあるでしょうし。

でも、同時にすべてを満たすのはできないわけです。

学校に保育を求めないように
保育所に教育を求めないように

という役割分担をもっとしっかりするのか、
より一層ごちゃ混ぜにしていくのか。

それとも、お互いが協力しあうことができるようにしていくのか。
今後の教育と保育の在り方について、
もっともっと考えてみたいと思います。



同じカテゴリー(まじめ)の記事画像
【反省と後悔は違う】
【時代に取り残される気持ち】
「義務先行の原理」
【恩師からの電話】
【託された想いに応える】
【宗教戦争が大嫌いな私】
同じカテゴリー(まじめ)の記事
 【反省と後悔は違う】 (2013-08-08 19:45)
 【時代に取り残される気持ち】 (2013-06-06 12:41)
 「義務先行の原理」 (2013-05-30 18:08)
 【恩師からの電話】 (2013-05-29 12:48)
 【託された想いに応える】 (2013-05-27 21:43)
 【宗教戦争が大嫌いな私】 (2013-05-22 12:37)

Posted by くみちょう at 22:00│Comments(0)まじめ
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
保育と教育
    コメント(0)