2011年08月20日

相手の状況と気持ちを察する

「気に入らないなら食べなくていい!!!」

和気あいあいとした食事が、
一瞬にして凍った雰囲気に・・・



これは、ある仕事先にて、
私がお食事をいただいていた際にあったことです。


仕事でお邪魔したのですが、もうちょっと時間がかかる、という状況。
その時ちょうどお昼にさしかかり、
「よかったら食べていって」
と言われて、その場のみなさまといっしょに
手料理をいただけることになりました。

もちろん、美味しくいただいておりました。
「きんぴら」だとかそういった「おふくろの味」です。

相手の状況と気持ちを察する



「おいしいですね♪」

お世辞抜きにおいしかったので、そんな会話をしていました。
すると、そこの旦那様から
「こういう料理は、いまの若い人は食べたことないでしょ?
地元はどこなの?」
そう問いかけられたので、
「私の地元は富岡ですよ。うちの母も、よくつくってくれたものです。
美味しいし、落ち着くし、いいですよね」

そう言った次の瞬間、
「そんなことあるわけない!!
気に入らないなら食べなくていい!!!」


料理をつくってくれたそこのうちの奥様の言葉でした。

何が起きたのか、さっぱりわかりませんでした。
まわりもきょとんとした状態でしたが、
その時は、旦那様やまわりの人が気をきかせてくれて、
別の話題を振ってくれたりしたおかげで、なんとかなりました。

・・・が、突然のことだったので、私としても
「なんで怒られたのか」が気になりまして・・・
しかし、聴くこともできず、どうしたものかと思っていたところ、
あとになって、そこの旦那様からお話を伺いました。

「あの日は申し訳なかったね。
実はあの日の午前中、うちの奥さんは出先で
『あんたの田舎なんてたいしたことない』
とバカにされてイライラしていたんだと。

それが、君の『富岡でも食べていた』という発言を聴いて、
「お前のきんぴらなんか、どこでも食べられる。
たいしたものじゃない。美味しくもなんともない」
という
侮蔑の言葉として受け取ったんだと。」

「タイミングが悪かっただけだから、気にしないで」

そう言ってもらったのですが・・・


正直、私の発言がそんなふうにとられるとは思いませんでした。

「こちらこそ、傷つけてしまったようで申し訳ありませんでした」

謝罪はしましたが、関係性はもとには戻りませんでした。



本当に、何気ない一言が、人を深く傷つけることがある。

いくら不可抗力とはいえ、傷つけたという事実は変わらない。
そうした配慮ができていない自分を恥じるとともに、
もっともっと、人の状況について、
そして自分の言葉一つ一つをもっとよく考えて
発言するようにしていきたいと、そう強く反省する機会となりました。


悩んでいる人って、
ちょっとしたことでも「またか」と思うとともに
悪い方向での承認と確認を繰り返してしまうもの。
「やっぱり私が悪いんだ」という負のスパイラルにはまってしまう。
そうした人たちを助ける側にまわること、
負のスパイラルを止めるためには、

「何気ない一言」

にも気を配る必要があるなと、そう感じております。
それを、気を配ることなく当たり前にできるような人間になる。
当たり前にするための努力を、日々続けていきたいと思います。



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Posted by くみちょう at 10:00│Comments(2)まじめ
この記事へのコメント
>本当に、何気ない一言が、人を深く傷つけることがある。

私は先日、意見を求められてその答えを伝えたことで傷つけてしまいました。

結果、正論を振りかざしてしまったのですが(苦笑)
自分の意見を述べるときは慎重にならないと…って改めて学んだところです(笑)

くみちょうさんの場合は、全く気にすることじゃないと思うんだけどな…。
Posted by かずみかずみ at 2011年08月20日 22:56
>かずみさん
「意見を求められてその答えを伝えた」
私も、これは注意と思いながらも、ついついやってしまうんですよね。

今回の件もそうですが、「相手が求めている【こと】」というのがある。
【答え】ではなく【こと】
たいていは「励まして欲しい」とか「承認して欲しい」「話を聴いて欲しい」
という、それだけのことが多い。

実は、今回の食事のことも、そこに通じるなと。

私が話したこと、言ったことは、たしかに事実。
それによって誰かを傷つける類のことでは決してありません。
でも、これを言うことで誰かが得をする、というものでもありません。

一つ考えたのは、今回私が問いかけられた際にも、
「こんなに美味しいきんぴらはいただいたことないですね」
という言葉でよかったわけです。

改めて思い返した時に、当時の自分の中に芽生えたことは、
「うちの母親だって、きんぴらつくるよ。」
という気持ちが、ほんの少しではありますが、あったのは事実。
そこに出てきた【対抗心】が、言葉の中に含まれていたのを
改めて見返してみると、感じました。

「相手を喜ばせる」
ということを考えていれば、「事実」を話すことが、
「正論」を話すことが、よい結果を生むわけではない。

わかっているつもりで、やはりできていないのだなって。

かずみさんのコメントから、またひとつ気がつかせていただきました。
いつもありがとうございます。
Posted by くみちょうくみちょう at 2011年08月21日 09:24
 
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