2011年09月22日

人生にも、二周目三周目がある

小さい頃、校庭をよく走っていたものです。

特に、陸上記録会が近くなったり、
運動会前だったり、
長距離走大会とかがあると、
毎日記録をつけて走り続けていたのを思い出します。

人生にも、二周目三周目がある



で、早朝から走りに行って、20周目とかの時に、
「これから走りはじめるんだー」って人もいて、
まあ、みんなで一緒になって走っているわけですが。

傍から見たら、「1周目」の子も、「20周目」の子も、
「100周目」の子も同じに見えますよね。
一見して、同じ校庭のトラックを走っているだけなのだから
違いはないように見える。

でも、走っている側からすると、同じところのようでもぜんぜん違うんですよね。
何周も走っていると、
「ここは内側がぬかるんで走りずらいから、ここは外側を走ろう」とか、
「ここは直線だから、前を見て、遅い人がいたらここで抜かそう」とか、
そういったことが見えてくる。


で、これを人生に置き換えてみた時にも、同じことが言えるなと。
人生に、二度目や三度目はない、というような言い方をされるけども、
じつは人生の中で「繰り返しすること」は多々ある、というかほとんどはそうなんですよね。

傍から見て、同じところを走っているように見えるから、
周りから見ている人にとっては、
「もっと早く走れー!!」とかそういう声掛けになるわけですが、
走っている自分の中では、周回を重ねれば重ねるほど、いろんなことが見えてくる。

その見えてきたことを大切にしていきたいなと思うわけです。
二周目・三周目と重ねるたびに、自分の中に蓄積されたものが出てくる。
いままで見えなかったものが見えてくる。
それを大切にしながら、何度も何度も、自分が納得するまで周回を重ねる。


たとえ、一周目に転んだとしても、
それを生かして、二周目以降は転ばなきゃいい。

人生の失敗なんて、そんなもの。

最後の最後で、自分が目指す記録を出すのか、
目的の周回を重ねるのか、
大切なものが見えるまで、納得がいくまで、
繰り返せばいいんじゃないか。

そんなことを感じています。
小さい頃、無我夢中で何周も、何百周も走り続けた、
あの想いを思い出して。。。



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Posted by くみちょう at 20:00│Comments(0)まじめ
 
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