2011年10月15日

過去の自分と、いまこそ向き合う

「人間としてはすばらしいが教員としては失格だ」

私が、教育実習において言われた言葉です。
先日、私の恩師の先生のお話をしましたが、
そうした先生になりたいと思って教員を世界を希望していた、
その矢先に言われたことが、この言葉でした。

リンク先(過去)では、うまくまとめておりますが、
自分の中で、改めて咀嚼すべき時に来たと思います。
そこで、言われたことを原文そのままに書きます。



「人間としてはすばらしいが教員としては失格だ」

この言葉を言われたのは、教育実習先の中学校でのお話でした。
私は、恩師の先生、自分が目指す先生が
「子どもたちに楽しくすごしてもらいたい。
いい体験をしてもらいたい。」

そんな姿で接してくれていたこともあり、
早朝7時から、陸上の練習をする子どもたちと一緒に外を走ったり、
休み時間も子どもたちと話をするようにしていました。
授業をつくるため、徹夜みたいなことを繰り返している中だったので、
辛かったけども、子どもたちが笑顔で話しかけてくれるのが楽しくて、
がんばっていこうと、そんなことを感じていた、そんな教育実習中。

が、その日の夕方、職員室に呼ばれた私に、担当の先生はこう告げました。
「お前、教員辞めろ。向いてなんだよ。」
いきなりの言葉に、いったいどうしていいものかわかりません。
続けざまに、こう言ってきました。
「早朝の校庭走り回ったり、休み時間に子どもとしゃべって、
調子に乗ってんじゃないのか?
子どもの人気取りすれば教員やってられるなんてほど、
この世界は甘くないんだよ。辞めろ。」


私は、すぐに「そんなことありません!!
そう言い、自分のお世話になった先生の話をしました。

「私の大好きな先生」

本当に、自分たち生徒のことを想い、
様々なことをしてきてくれた先生、
その先生の生き方に感銘を受けたからこそ、
私は教員になりたいと、そう想って行動してきた。
「人気取りなんかして、そんな単純なものじゃない。
本当に、子どもたちと心のふれあいがしたい、
そう思って、私は教育実習に来たんです!!!」


その話をしたあと、その先生はこう言いました。

「あっはっは。感動したよ。面白いじゃないか。
お前、【営業】になれよ。
営業だったら、いまの話に感動してモノ買ってもらえるさ。
ダメだったとしても、そんなお前のダメな姿見て、
可哀そうだと思って、みんながモノ買ってくれるさ。


いいか、お前みたいな、そしてお前の恩師の先生みたいなのがいるから、
学校はタイヘンなんだ。学校ってのはそんなに簡単なところじゃない

いま、子どもたちは、そして親たちはそんな状況にないんだ。
こっちの一言二言の上げ足とって、
「言われた通りにしたら上手くいかなかった。どう責任とってくれるんだ!?」
そう言ってくるような子どもたち、親を相手にするんだ。

学校ってのは、そういう厳しい現場なんだ。

お前の言うことは確かにそうかもしれない。
人間としては、お前みたいなやつはおもしろいよ。
でもな、教員としては失格だ。


まあ、実習は適当にやっておけよ。どうせできないんだから。」





それが、教育実習で言われたことでした。

これを言われた瞬間の自分の中で、
どれだけの怒りと悲しみと、
そして自分が信じて疑わなかった教育の世界への絶望と、
本当に、言葉にはできないようなそんなうっ屈した想いが、
自分の中に湧きあがった、そんな瞬間でした。


そうは言いながらも、いままでは
これをバネにしていろんな活動をするようになり、
学校の先生にならなかったおかげで、
様々な体験や、いろんな素晴らしい人たちを出会えるようになり、
むしろこのおかげでいまの自分がある。
ありがたいお話です、とまとめるようにしてきました。

それは、建前ではなく、事実です。嘘はありません。
それはそうなのですが、
が、やはり自分の中では咀嚼しきれていないんですよね。

そうは言いながら、恨めしい、許せないという気持ちが
この時のことを思い出すたびに、
いまだふつふつとわき上がってくる
のです。

これって、自分自身が本当に向き合わなきゃいけない課題から
逃げている
ことなんだって、そう感じています。
本当にこのことに感謝できているのであれば、
怒りはもうなくなっていい
ハズ。

涙を流しながら、元恩師の先生にこのことを話しながら、
泣きながら「教員目指すのは辞めます」なんて言わなかったはず。


ある人から、こんなお話をいただいたことがあります。

学校の先生は何のプロなのか。それは学問を教えるプロだってこと。
そのための勉強を続けてきたし、そのための資格でしょ。
テストをして、子どもたちにきちんと学ばせることができたのか、
そして、自分たちは伝わるように授業を工夫したのか、
常にそれを見直して、そうした工夫をし続けている。

だけど、「こころのプロ」じゃあないよね。

子どもたちのこころを成長させたとか、向き合ったとか、
そんな話はなんとでもできる。
本当に子どもたちのこころを、数学や国語のように
数値化して、テストで学んだ成果を確認し、
できなかったところを後日補修するような、
そんな学習をできるのか?できないんじゃないのか。
だったら、心の教育だとか、心を大切にするなんて、
言うこと自体まちがってるんじゃないのか。

それに、学校がやるべきことは、心の教育じゃないんじゃないのか。
その教育実習の先生が言うように、勉強を教える場であって、
「こころの教育」がしたいのであれば、いまやっているみたいな、
学校外でやる
、それでいいんじゃないのか。


・・・これまでの自分は、学校の中においても、
子どもたちにとって心を大切にすることを心がけたいと思ってきました。

でも、その根本から見直さなくてはいけないのではないか、と。

その部分をおざなりにして、これから先、
教育活動なんていっても、たかが知れてるのではないか。
自分が味わったあのなんとも言えない気持ち。
せっかくそうした機会があったのに、
単に「自分の成長の役に立ちました」って言っていいのか。

もっともっと、いろんなことと向き合う必要があるのではないか。
そう、いまだからこそ、考えています。

簡単に答えが出るものでもないし、
もちろん、すぐに答えを出さなきゃいけないものでもありません。
むしろ、じっくりと、時間をかけて、
自分の中で納得いくまで咀嚼していく課題であると、
そう感じています。


まじめすぎるのかもしれないけども、
こうして向き合うことしか、自分にはできないのだから、
できることを少しずつやっていこう。

そう、考えています。



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Posted by くみちょう at 20:30│Comments(2)教育
この記事へのコメント
>本当にこのことに感謝できているのであれば、
怒りはもうなくなっていいハズ。

教員になっていたら感謝できてたかもしれませんね。
怒りはならなかった自分に対してでは?
なんであきらめちゃったのかな~?

今、私自身PTAの活動を通して思うのは

熱い志を持って先生になるヒトは案外少ないのでは?ということです。
お医者さんのように医師になるために一生懸命勉強するのとは違って
大学時代教職課程があってなんとなく取得して、とりあえずその資格があるから先生になっとくか?みたいな先生もいると思うんですよね~(笑)

そういう意味ではくみちょうさん、惜しいっ!!

てか、今からでも志す気持ちはないのですか?
Posted by かずみかずみ at 2011年10月15日 22:05
>かずみさん
>怒りはならなかった自分に対してでは?
たしかに、それもひとつにはあるかもしれません。
「何が何でも教員になるんだ!!!」
そういう想いがなくなった瞬間でもあるし、
でもいまだに言うということは、未練があるのではとも。

ただ、自分の原点を見直した時、
いままさに見直していますが、
「すばらしい人間」にはなりたいけども、
「すばらしい教員」になりたいか、
と言われたら疑問符がつくのも事実。

こころを大切にする教育、
と言葉でいうのは簡単だけれども、
いま求められていることがそこにないとすれば、
自分は場違いな形になる。
また、自分が空回りして、ダメになるのも目に見えている。

それよりも、もっと別の形で生かすことができるのではないか。
学校の中に入ってやることよりも、
外部でやれることの方が多いのじゃないのか。
そうした想いに変わったため、いまのような活動につながっています。

そして、これが一定の成果を出してきた今だからこそ、
また振り返って考え直すことができている、とも。

いまから志す気持ち、正直なくはないけど・・・
という状況です。そんな中途半端な状態ではなりたくないし、
なってもロクなことにはならないだろうと。

その意味でも、自分の中で咀嚼しておかないと、
次へと進まない課題だなと、そう感じております。

>熱い志を持って先生になる人は少ないのでは?
これ、私が教育学部に入った時に感じた感想そのままです。
というより、高校時代の進路指導からして、
「成績・偏差値」だけから「どの大学目指すのか」を話をされて、
進路指導とは名ばかりの面談をしてきて、
大学入っても、授業をまじめに受けるでもない人たちの姿を見て、
いったいみんな何をしているんだろうか?って、疑問を感じました。
小中学校と同じように、いじめや後輩いびりなどをやっている姿を見て、
この人たちが教員になるって、どういうことなんだろう?って。
でも、そういう人ほど、要領よく動いて、採用試験一発合格したりして。

そんな姿を見てきて、日本の教育システムそのものに対する疑問が
大きくなっていったのが、事実です。

そうした意味において、自分のできること、
目指すところというのは、日本の教育システムそのものを
変えていきたい、ということではないのか。
・・・というのが、今振り返ってみて感じていることです。

まあ、まだ他の自分の過去を振り返りきれていないので、
そうした様々なものを振り返ってみて、総合して判断したいと思っています。

コメントいただきまして、ありがとうございます。
またひとつ、自分を振り返ることができました。
Posted by くみちょう at 2011年10月16日 19:20
 
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