2011年11月06日

自分が生きている理由

「私みたいなダメ人間は死んだ方がいい」

これだけプラス思考な人間ですが、
そんなふうに「死にたい」というよりは、
「死にたくはないけれども、死んだ方がいい」
と思ったことはあります。

でも、それを止めてくれたのは、
プラス思考にしてもらえたのは、
私を育ててくれたたくさんの存在のありがたさに気がつけたから。

自分が生きている理由



以前も、記事にしたことがありますが、
私が「死にそう」になった時、
実際には単なる気絶だったわけですが、
その時に泣きながら顔を覗き込んで、
本当に安堵の表情を浮かべて「よかった・・・」と言ってくれた母の姿。
「死ぬな、バカ!!!」と叱ってくれた家族の想い。

中学時代の恩師の先生の言葉が、
自分の頭の中に浮かんできた時。

高校時代の親友、くされ縁な仲間たちとともに、
いろんなことをしてきたその想い出。

大学時代、すばらしいことを教えてくれた教授。

社会人になってからの学びの仲間たち。

こうした人たちの言葉が、想いが、
自分の中で再生された時に、
「自分の中に存在する、様々な想い、息づいている心」
そうしたものに気がついて、

そしたら、涙が止まらなくなりました。

自分の命は、そんなに軽いものじゃないって。
自分だけのものではないって。


こんなに、自分のことを大切にしてくれて、
自分の中に息づくたくさんの想いや心を授けてくれて、
そんな人たちの想いを受けて生きている自分が、
どうして生きる価値がないなんて言えるのだろうかって。


ちっぽけで、ダメな自分だけど、
そんな自分に愛を注いでくれたすばらしいみなさんの想い、
それを無碍にすることだけはしてはいけない。
むしろ、それに感謝して、恩返しをしたい。

そのためにも、自分は生き続けようって、そう思っています。


これが、私が生きている意味であり、価値だと、そう感じています。


あとは、「自分がちっぽけで、ダメだ」と思っていること、
これを克服していかないといけない自分の課題だと、
このことからも感じています。。。。


自分はちっぽけではなく、自然の一部。
みんなとつながっているその一端であって、
一部分を指してちいさいだとか、そんなことはありえない。

そのことに気がついても、
それがなかなか次につながらない。

そして、そうしたスピリチュアルな話になると、
いかがわしいと疑ってしまう部分がある。

実際、その手のもので、どれだけだまされてきたか(笑)

でも、自分の本質はそこに近いものがあるなと、そう感じています。
人をだますとかではなく、癒したり、助けたりできる、
本来あった姿に戻れるのではないだろうか、と。


そうした生きる意味に触れつつ、
現実的な生きていくための仕事・物質的側面ともまた、
うまく整合性をもった上で、これから生きていきたいと思っています。



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Posted by くみちょう at 18:00│Comments(0)まじめ
 
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