2011年11月21日

やれることをやっていない

人の可能性ということで考えた場合、

歴史上のすばらしい業績をあげた人、

たとえばキリストだとか釈迦だとか孔子だとか、

三国志の曹操だとか劉備だとか諸葛孔明だとか、

日本の中大兄皇子だとか徳川家康だとか

現代日本でいえばイチローだとか

そういう人たちと私たちは同じだと思っています。


可能性という面において。


ただ、その可能性を追い求めている

そうでないか
の、違いなだけ。


つまり、誰しもがやる気になれば
その程度のことはできると、そう信じています。

もちろん、「その程度」どころではないことをしていると思います。
思いますが、人間というくくりでとらえたら同じ。

才能の違いなんてものは、ジャンルが違うというだけで、
誰しもが、やればできるもの。

ただ、やっていない。

それだけ。

本気でやろうと思えば、
なんだってできるんだけれども、

そこまでする意味や、
自分なりのやる気を引き出すものが、
そこにあるかないか。

という、「意思の問題」なんだと、そう思っています。

「歴史上の大きなこと」だとしても、
いま目の前にある「部屋をかたづける」
とかそういうことでも、やることは同じ。

「世界中の人とわかりあえる世界をつくる」
ということと、
「トイレの掃除をする」
ということは同じこと。

結局、やらない人はやらないし、
やる人はやる。


そんな中で、自分が今、やれることをやっていないという感覚がある。

そもそも、何を本当にしたいのか、
ということが見つかっていない。

見つけられていないことにあるのか、
それとも見つけているけれども、
見えないフリをしているのか。

それすらもわからないけれども、
いまの自分に不足しているものを感じてはいる。


そんなものはずっと見つからないかもしれない。
そんなものはないかもしれない。

でも、後悔しないためにも、
動き続けて、見つけ続けたいとは思っています。

自分なりにできることを、やりたいことをやる。

やれることをやっていない



自分の中に、小さいけれどもなにか芽吹いている
そんな感覚はしているから。。。

その芽を育て続けたいと思います。



・・・て、あーなんだかまじめになっちゃったな(^^;)

まあ、いっか。それが自分だし。



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Posted by くみちょう at 19:30│Comments(0)まじめ
 
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