2009年01月27日

神は一人ひとりの中にいる

昨日の「神はたぶんいない」に引き続いて、まじめなお話。

「神」というのを、どのようなものとしてとらえるのかによって、
また考え方が変わってくるのかなと思うのですが・・・

ここでは、「判断基準」としての「神」の存在について、考えております。

神は一人ひとりの中にいる



先日の「神」の件もそうですが、よくあるのは
「絶対的な判断基準」としての「神」の存在です。

要は「これにしたがっておけばまちがいない」というようなもの。

正直な話、「そんなものは世の中にはない」と私は考えています。
なぜなら、「世の中は絶えず変化を続けている」から。
当然、「絶対的な答え」なんかあるわけがない。

人は悩み、苦しんだ時についつい「誰かが答えを出してくれる」ことを求めてしまうことがあります。
できれば、それは多数の人が信じていることであってもらいたい。
なぜなら、その答えが「間違った」時に、「大多数の人が同じミスをしている」となれば「安心」できるから。

(私としては「間違い」もないし、「他と同じなら安心」ってのもおかしいとは思っていますが、
一般的には、「他と同じであれば許される」かの如く考えられている節があるように感じています。
それをさして【常識】と言っていたりする気がしますが・・・それはまた別で書きたいと思います。)

しかし、どんな答えであったところで、最終的にそれを選択するのは「自分」です。
その出した答えに対して、また思い悩むのも「自分」です。

人生というものは、「誰かに許して」もらったり、「その人生でいいよ」と言ってもらえることも必要だとは思います。
しかし、「保障してもらうものではない」と思います。
自分の人生、その「よい・悪い」を判断するのはすべて「自分」なんですよね。
そして、「責任をとるのもすべて自分」なんですよね。
その意味で、「判断基準」という意味における「神」は自分自身だと、そう思います。
宗教や何かを指して、それを「判断基準」とするのは、おかしい。
むしろ危険だ、と警鐘をならしたいとさえ、思っています。

ただ、そうなると「宗教」は悪いものなのか、意味はないのか、となりそうですが、
私はそうは思っていません。
そこは実は深い意味があるんですよね。
何かというと「自分自身の価値基準をしっかりとつくる手段の一つ」としての意味です。

数千年もの時を費やし、人類がつくりあげてきた宗教。
他の人に左右されたり、思い悩んだり、苦しんだりした時に、
「どうやって立ち直るのか」をわかりやすく行動方式にして示してくれているもの
「宗教」であると、そう感じています。
なので、そうした方式を用いれば、
「どうしてよいのかわからない」という時に、非常に役に立つと思います。

そんなことから、私が感じているところにおいて、「価値基準」という意味においての「神」は、
「一人ひとりの中にいる」
ということになります。


ちなみに、日本人が大切にしてきている「八百万の神々」の存在は何なのか、というと、
「日本人が、環境・モノのすべてに感謝・敬意を示すためにつくりあげた存在」だと感じています。
そのこと自体を絶対視するための「価値基準」とは違い、
「神」として敬うことで、ついつい調子にのってしまいがちな部分を戒めることにつながる。
謙虚に物事を捉えるために、日本人が文化として身につけてきたものが、「八百万の神々」なのだと。


なんてことを書いてくると、昨日みなさんからいただいたコメントがそのまま出ているような気もします。
そうなってくると、わざわざ言わなくても、みなさん同じようなことを感じていらっしゃるんだなと。

ここで、これらのことをいくつかの言葉でまとめてみると、こんな形になるかなと思います。

○価値判断の基準は一人ひとりにある
○身の回りのすべてに対して、謙虚な姿勢と感謝の気持ちを持つことが大切
○悩んだ時の問題解決の手法の一つとしての宗教・自己啓発は価値がある
○世の中に絶対的な答えはない


少々言葉足らずではありますが、
こうしたことについても、ちょっとずつ、みなさんからご意見をいただいた上で、
もっともっと考えを深めていきたいと思い、書いてみました。
また、みなさんからのご意見がいただけたらなと、そう思います。



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Posted by くみちょう at 18:00│Comments(6)まじめ
この記事へのコメント
昨日記事のコメント「私は自分を信じています」と答えたい」とは・・・。
その発想があったんだぁ・・・。
恐れ入りました。
おいらもこれからそう答えます。
でも、今回の記事とっても勉強になりました。
みんなそれぞれ自分自身の中に神様はいるのですね。
これも日本の文化が作り上げてきたものでしょうか。
大切にしなければなりません。
宗教は戦争の道具にもなってしまうのですから、自分自身の心の中の神様をそれぞれ信じることで戦争を避けることが出来る。
それは自分自身を信じているから。
自分自身を信じることの出来るこの国はまだまだ捨てたものではありませんね。
Posted by 弥乃助弥乃助 at 2009年01月27日 20:56
日本は、しあわせだね☆

発想の自由がある。


せかいの中には、子供の頃から「神」(人だったり偶像だったり)を
すり込まれている国々があるもんね…。

でも、「神」がいたほうが幸せな時も多々あったり。


ふれきしぶるに生きよう☆
Posted by とこぶしとこぶし at 2009年01月27日 23:43
そうですよね〜。
誰かに対して、いいかげんにしてたり、やってたりするとそのツケがちゃんと還ってくるし…なんだか、自分のことなんだけど、自分のうかがい知れない力(ジブン神さま?)が作用してちゃんとバランスを取ろうとしてるとゆーか…、自分にとって良い方向へ進むよう強制的にそっちを向かされたり…。辛くても意味があるから投げ出したりしちゃいけなんだって最近思い知らされてます。
ちょっとそれちゃったかな?乙春の神社好きも意外に自分の中に少しある神聖を見つけに行くためなのかも知れないとか思っちゃったりして(爆)でも、ほんと。
子育てとか神聖なことに関わってることをたまには、思い出して確認しないと…。くみちょありがとございます☆
Posted by 乙春 at 2009年01月29日 10:37
>弥乃助さん
弥乃助さんのコメントのおかげで、その言葉がおりてきました!!
いつもなら、「神なんていない」とだけ考えているところなんですが・・・
その次へと進む、大きなフレーズだと思っています。

「私は自分を信じています」

これからも、自分を信じて、人を信じていきたいと思います。
素敵な言葉、ありがとうございます!!
これからもよろしくお願いいたしますね♪
Posted by くみちょうくみちょう at 2009年01月29日 15:02
>とこぶしさん
「世の中、知らないほうがしあわせ」ということもある。
でも、知ることによる「一時的な絶望」ではなく、
知ったからこそ、それを「乗り越えようとする希望」をもって
世の中生きていきたいなと。

本当に、日本人としてこれだけしあわせな、
恵まれた環境をいただけたことに感謝して、
次へ次へと進んで生きたいと思います。

いつもありがとうございます♪
Posted by くみちょうくみちょう at 2009年01月29日 15:04
>乙春さん
そうなんですよね。
「辛くても意味があるから投げ出したりしちゃいけなんだ」って、言葉、
本当に大切なポイントですよね。
ここで向き合っていくことができるかどうかが、鍵になるんだなって、そう思います。
乙春さんの神社、写真で見ているとすっごく色々と感じるものがあります。
それこそ、「調子に乗らないで、自分を戒めてすごせよ」という、
素敵なアドバイスだなと。
それを素直に受け入れることができるようになっていきたいと思います。

コメント、ありがとうございます。
Posted by くみちょうくみちょう at 2009年01月29日 15:07
 
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