2009年08月20日

厳しいことを伝えるタイヘンさ

厳しいことを言ってくれる大人は少ない

厳しいことを伝えるタイヘンさ



小さいころ、うちの父親は「いただきます」を言わずに食べ始めた私に
「ちゃぶだい返し」をしてご飯をたべさせなかった。
「感謝できない人間に食べさせるものなんかない!!!」

ご飯粒をちゃわんに残したまま「ごちそうさま」をしたら、
次の食事には、ご飯粒がついたちゃわんがそのまま出てきた。
「ご飯粒を残すようなのは、感謝が足りない。
食べ終わるまでは許さない!!」


当時、保育園前後の私にとって、理解できるものではなかった
が、怖かったこともあって、とにかく従うしかなかった。
「ダメ親父だ!!」とうらんでいた。

しかし、大人になるに連れて気がついてきた。
「くみちょうさんは、残さず食べてくれてうれしい」
「くみちょうさんは、礼儀正しくていいですね」

まわりが、よろこんでくれるのだ。

10数年が経過して、他人と付き合うようになってはじめて、
親父が自分に教えてくれていたことの意味に気がつけた。

いや、そのことのありがたさに気がつくのに、30年近くが経過した。


親父に対しての感謝を告げられるようになるまで
30年が経過したが、それでも許してくれるのが「親のすごさ」。

私はいまになって、父親に対して
「感謝しつくせない感謝」
というものを感じています。
この父親の教えがあったからこそ、いまの自分がある、と。




さて、自分はそんなふうに、大切だから伝えること
「いますぐ理解されずともいい」
「自分はうらまれてもかまわない」
そんなふうにまで考えて対応できているだろうか。

厳しいことを伝えるタイヘンさ



そして自分はついつい「いま尊敬されたい」「いますばらしいと思われたい」
という思いの中で、目先のことばかりに目を向けていないだろうか。

教育という分野に携わっているのに、
いい顔だけをしたくて動いていた自分の姿を見て、
「学べていない自分」の姿が情けなくなりました。

そして、それを反省したからといって、
すぐすぐに行動を変えられるかといったら難しいのも、また事実。

でも、一つ一つ、できるところから行動を変えていくことが、
これからの自分の行動だと、そう感じています。


もちろん、厳しいことを伝えることがすべてではありません。
小さい頃の自分を承認してくれる人、場合があったからこその今です。
そうしたバランスをとることも含めてが、教育なんですよね。

言葉の上だけではなく、
どれだけそうしたことを「行動にうつしていけるのか」
というところまで、これからやっていきたいと、そう思います。



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Posted by くみちょう at 20:00│Comments(0)教育
 
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