2009年10月16日

学校に何を求めているのか

昨日の記事において、
「教職大学教諭」さまからご意見をいただきました。

「根本的に見直すなどということをただ言うより、
優秀な教員を養成しようと考えることのほうが、
より具体的で、建設的です」
とのこと。

ご意見いただいたことはもっともだと思います。
いま、目の前にある学校関係の教育問題に携わった際に、
私自身が感じている問題も、そこにあると感じているから
です。

学校内部において、正直時間がありません。
よりよい授業を行うための教材研究の時間。
子供たちとふれあうための時間。
教員としての資質を高めるための時間。
・・・


そうした問題を解決するためには、
今回の「教員の質の向上と量を増やす」ということは
非常に効果的であると思います。

学校に何を求めているのか



が、そこだけでは足りないのが現状ではないでしょうか。

いまの教育問題において、
「個人」「家庭」「国」、それぞれが教育に何を求めているのか。

「良質な労働力」をつくることなのか。
「人間として生きていく力」を求めているのか。
「忙しい親にとって、親が面倒見なくてもいい」預かってくれる場所としてなのか。
「知識を詰め込む場所」なのか。
・・・などなど。

さらに一歩踏み込んでいくためには、

「何のために教育が行われているのか」
「何のために学校があるのか」

そうした根本的な部分をきちんと捉えなおさないと、
新しく生み出されてきた問題に対処できないのではないでしょうか。


日本の「高度経済成長」時代においては、
「適度な知識を有した優秀な労働力」というのは、
日本の学校教育のすばらしい実績であると思います。

でも、今もそれが必要なのかと言われたら疑問です。

そうした、時代の変化とともに、求められたことが変わってきているので、
現代に合わせた教育・学校というものを、
いまこそ、とらえなおす必要があると考えています。


「君は、人間としてはすばらしいが、教員としては失格だ」
「教員は、すばらしい人間をつくることよりも、
言うことを聞く、言われたことをその通りに理解して実行できる、
決められたことをやる人間をつくることが大切だ」

そう言われ、教員落第をつきつけられた私としては、
現在の学校教育はおかしいのではないかと感じずにはいられません。

もちろん、これが必ずしも現在の学校社会すべてだとは言いません。
私のことを認めてくれる先生もいらっしゃいますし、
賛同し、協力してくれようとしている先生もいらっしゃいます。

が、上記の教員が、学校の第一人者であったことは確かで、
そんな教員が増えて果たして日本がどうなるのか、を考慮すると、

やはり、学校自体の役割について、
学校に何を求めているのかについて、

もっと深めていかなければならないと感じております。

それが、私が「質と量」という点だけではなく、
「学校自体の本来の役割について」考える必要があると
考えている理由であります。





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Posted by くみちょう at 19:00│Comments(2)教育
この記事へのコメント
「言うことを聞く、言われたことをその通りに理解して実行できる、決められたことをやる人間をつくることが大切だ」
という人は、何のためにそんな人間を作りたいのでしょうか。とっても不思議です。
Posted by 渡邉浩之 at 2009年10月17日 23:14
>渡邉浩之さん
「誰がその子の責任を取るんだ?」ということも言われました。
現在の学校社会というものは、何か起きたらすぐ「親が乗り込んでくる」
「学校の責任だ!!」と言われる時代。
「子供の人生、自分で責任を取れるように」と育てて、
もしその子の人生が失敗したら「お前が責任を取れるのか?」と。
だから、「一定の決められた枠の中で生きられるようにすること」が、
「学校としての責任を果たすことにつながる」、ということでした。

なんでしょうね。
そんなのが学校で、本当にいいのでしょうか。
まさに「高度経済成長」の頃の「優秀な労働力」としての
人材育成のレベルでとまっている気がしてなりません。

親が「学校のせいだ!!」とか言ってくることに対して、
責任をとらされて辞めさせられたり、問題教師だと
世間で大騒ぎになることもあるかとは思いますが、
そうしたところも含めて、やはり考えていかないといけないところだと。

時代の変化に合わせて、学校の役割を変化させる必要があること、
そして、決められたことをこなすことができさえすれば生きていける保証がある、
とは言い切れない現代社会、
自分で自分のことを責任をもって行動できるようになることが、
もっともっと、必要なのではないかと、そう感じています。

ただ、現場の先生たちにも、負担がのしかかっていることも事実なので、
一概に責めるわけにもいかないところなのがまた、難しいですね。

コメント、ありがとうございました。
Posted by くみちょうくみちょう at 2009年10月20日 05:20
 
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