2010年02月02日

自分の甘さと人に尽くすということ

私は、誰に対しても全力で誠意を注ぐ傾向にあります。
自分を大切にしてくれる人に対しては、全力でお手伝いをします。

それはそれで、悪いことではありません。
もちろん、そうすることでいろんな人から助けてもらうこともありますし、
良好な関係性を築くことができてきました。

しかし、それって単なる甘えとどう違うのでしょうか。

なぜならば、それによってだまされたことも多々あるからです。
私を騙し、お金をとったり、精神的ないやがらせをした人たちは私にこう言いました。

「なんでもしてくれる。そんな甘い気持ちをもたせるようなお前が悪い!!
騙されると思ったなら、はじめから拒否すればいいのに。
こっちが「こいつならちょっとくらい騙してもだいじょうぶだ」
と思うくらいの甘さを出したお前にも責任がある!!!」

自分の甘さと人に尽くすということ

昔はずいぶんな言い草だなと思っていました。

が、こうなるからにはやはり私自身にも責任があるわけで。

言われるとおり、「期待をもたせた自分」にも責任があります。
特に、自分は「誰にでも」という言葉に、甘えていることは事実です。
なぜならば、「人を見る目」を養おうとしていないから。

そりゃ、騙されて当然ですよね。
言葉面だけとらえればいい言葉かもしれませんが、それって、単なる甘えです。
人を疑え、というのとは違いますが、
「人を見る目を養う」ということは大切なことです。

そうした視点が抜け落ちていくことが、
「よい言葉」の欠点だと、そう感じるとともに、
自分自身も、もっともっと、人を見る目を養い、
今後に活かしていかないとと、そう思います。


自分が騙されたり、悪いことをされたと思ったら、
その裏側を、なぜそうなったのかを、
自分に責任がある形で考えてみると、
単なる被害者ではなく、自分をより一層成長させるきっかけになるなと、
そんなことをあらためて感じました。




同じカテゴリー(まじめ)の記事画像
【反省と後悔は違う】
【時代に取り残される気持ち】
「義務先行の原理」
【恩師からの電話】
【託された想いに応える】
【宗教戦争が大嫌いな私】
同じカテゴリー(まじめ)の記事
 【反省と後悔は違う】 (2013-08-08 19:45)
 【時代に取り残される気持ち】 (2013-06-06 12:41)
 「義務先行の原理」 (2013-05-30 18:08)
 【恩師からの電話】 (2013-05-29 12:48)
 【託された想いに応える】 (2013-05-27 21:43)
 【宗教戦争が大嫌いな私】 (2013-05-22 12:37)

Posted by くみちょう at 19:00│Comments(0)まじめ
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
自分の甘さと人に尽くすということ
    コメント(0)