2010年02月21日

経営者に聞く~「主」と「従」の関係

先日、とある町の商店街に店を構える、3代目当主様より伺ったお話。

「商店街がつぶれていくのは忍びない。なんとかしなければ・・・」
そうは言うものの、けっきょくは誰も動かない。やらない人ばかり。
「みんなでショッピングモールをつくろう!!!」
相考えて動き出したところ、商店街を2分するほどの大騒ぎに。
「既存の商店街を捨てるのか!!」「このままジリ貧じゃしょうがないだろう!!」
3代続いて、あわせて100年もいっしょにやってきたお隣さんとも仲違いし、
争うことになり、ほんとに悲しく、何度となくくじけそうになった。
しかし、「気づいた人がやらなければ・・・たとえその場は損をしてもいつかきっと・・・」
そう思い、自分が舵を取ってショッピングモールを完成させました。
結果的にはそれが功を奏し、今は順調に経営が続けられています。

その時、「主」と「従」ということを考えた。
「大規模店舗(西部・ジャスコなど)」では、店舗全体を「主」とし、
個別店舗を「従」として、全体の総和で儲かるようにと考える。
しかし、「商店街」は個別店舗が「主」であり、「商店街」は「従」である。
自分のお店さえ儲かれば、あとはどうだっていい。
ぶっちゃけ、商店街が潰れてもいい、とまで考えている人もいる。
だから結果として大規模店舗に勝てないのではないか、と。

ショッピングモールをつくって、その結果をまとめてみると、
「商店街の総和」を「主」として考えた人が「個」でも儲かり、
「個」を「主」として考えた人は店を閉めている。

どんな仕事でも「これをやらなきゃいけないんじゃないの?」と気づいたら、
どんなに責任を負わされようとも、批判されようとも、遣り通さなければならない。
そこに希望が見出せたのなら、それこそガマンしてやり通さなければならない。
それこそが経営者の仕事なのではないか。

さて、自分に当てはめたとき、はたして「主」と「従」はどうなっているのでしょうか。
誰が損な役回りであるところの「舵取り」をやるのでしょうか。
自分は「経営者」足りえるのだろうか。
「勝手にやりやがって・・・」みたいな文句を言われても、
「これが未来につながる第一歩なんだ」「誰かがやらなきゃならないんだ」と考え、実行できるのか。

あらためて、自分の存在、そしてできることとは何かを考えさせられるものでした。


・・・これは、4年前の私の日記です。
そうか、こんなこと書いていたのか、と思いつつ、
さて、いまの自分がこれを聞いてどう感じるのか、を考えてみました。

「主」と「従」という話。
いまの自分にとって、「主」ってなんだろう。
そして「従」とはなんだろう。

自分の存在自体を「主」として考えた場合、
「従」として様々なカテゴリーが考えられる。

「パソコン」をいじれる私。
「教育者」としての私。
・・・・などなど、考えていけばきりがない私がいる。
その一つ一つは確かに大切な自分の中の要因ではある。

が、その一つ一つに目を奪われて、本質を失ってはいないだろうか。
「自分が生きている」という大きなものに向かい合った時、
はたしてこまかな一つ一つはどこまで大切なんだろうか。

細かなことに縛られて、大きな目で見ることを失っていないだろうか。
そんなことを思い直しました。

経営者に聞く~「主」と「従」の関係



枝葉にとらわれて、幹が腐らないようにしたいと思います。





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Posted by くみちょう at 21:00│Comments(0)まじめ
 
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