2010年02月24日
自分をコントロールする
世の中には、さまざまな自己啓発の手段があります。
宗教しかり。
コーチングしかり。
これらは、「自分をコントロールするため」にあるのであって、
「神頼み」や「他力本願」
まして、「他人をコントロールするため」のものではない。
ですが、とかく人は勘違いをしがちで、
気がつくと、
「○○をやっているのに効果がない」
とか、
「○○をしているのに、人が変わらない」
とか考えてしまいがちです。
でも、それじゃいけないんだよってことに
思いを馳せなくてはいけません。
私は、小学校の低学年から、高校卒業までの間、
「お仏壇」の前にて、毎日「般若心経」を唱えていました。
実は私は、「偏頭痛持ち」で、
今もそうですが、おでこのあたりが無性に痛くなります。
小さい頃、病院にいっても治らず、祈祷したりもしましたが治らず。
わらにもすがる思いで、「お経を唱える」ことをするようになりました。
いま考えたら、それで治るとは限りませんが、
本当に毎日毎日、これで治れば・・・と思って続けてきました。
しかし、一向に治らないことから、
「これもまた、嘘だったんだ」
家族はそう考え、宗教じみたことですし、やるのをやめました。
でも、私はその時、すごく大切なことを学びました。
それは「仏壇の前でお経を唱えること」によって、
「自分を省みて、同時に落ち着くことができた」のです。
そう、「お経を唱えれば幸せになれる」
「お経を唱えたら病気が治る」
そんなことは一切ありませんでしたが、
「自分自身が人間的に成長することはできた」のです。
それによって、結果的にしあわせになれる自分がいたのです。
これって、すごく大切なことなのではないでしょうか。
どんなにいらいらしていても、
ご先祖様の前でお経を唱え、気持ちを落ち着かせることで、
自分自身を振り返ることができたのです。
お経自体が幸せを呼ぶのではない
それをすることによって、自分を成長させ、
自分を落ち着かせ、自分を反省して、
そうすることで、結果としてしあわせをひきこむことができるようになる、ということなのです。
これは、別にお経に限ったことではありません。
世の中のすべての事象は、すべからく自分をコントロールするためのヒントなのです。
それを受け止めることができるかどうか。ただそれだけなのです。
ましてや、他人をコントロールするためでもないし、
人をよくするということでもない。
なによりも、いやおそらくただ唯一、「自分を変えるためのヒント」なのだと。
そう考えて行動することができれば、
世の中のたいていの問題は解決すると、そう信じています。
まあ、言葉でいうのは簡単ですが、
なかなかに、こうした実体験を基にしていても、
気を抜くと「人を変えよう」としてしまったり、
「他人のせい」にしてしまったり、
「これをやっているのになぜだめなんだ」と憤ったりしてしまいます。
が、常に「自分をコントロールする」ということを意識しなおすことで、
少しずつでも自分を変えていけたらいいのではないか。
そう考えて、今を生きています。
昨年一年間は、特に他人のせいにして、
自分自身から逃げていた部分が多々あります。
それを思い返しながら、自分のことをふりかえり、
自分をコントロールしていける人間になろうと、そう思っています。
宗教しかり。
コーチングしかり。
これらは、「自分をコントロールするため」にあるのであって、
「神頼み」や「他力本願」
まして、「他人をコントロールするため」のものではない。
ですが、とかく人は勘違いをしがちで、
気がつくと、
「○○をやっているのに効果がない」
とか、
「○○をしているのに、人が変わらない」
とか考えてしまいがちです。
でも、それじゃいけないんだよってことに
思いを馳せなくてはいけません。
私は、小学校の低学年から、高校卒業までの間、
「お仏壇」の前にて、毎日「般若心経」を唱えていました。
実は私は、「偏頭痛持ち」で、
今もそうですが、おでこのあたりが無性に痛くなります。
小さい頃、病院にいっても治らず、祈祷したりもしましたが治らず。
わらにもすがる思いで、「お経を唱える」ことをするようになりました。
いま考えたら、それで治るとは限りませんが、
本当に毎日毎日、これで治れば・・・と思って続けてきました。
しかし、一向に治らないことから、
「これもまた、嘘だったんだ」
家族はそう考え、宗教じみたことですし、やるのをやめました。
でも、私はその時、すごく大切なことを学びました。
それは「仏壇の前でお経を唱えること」によって、
「自分を省みて、同時に落ち着くことができた」のです。
そう、「お経を唱えれば幸せになれる」
「お経を唱えたら病気が治る」
そんなことは一切ありませんでしたが、
「自分自身が人間的に成長することはできた」のです。
それによって、結果的にしあわせになれる自分がいたのです。
これって、すごく大切なことなのではないでしょうか。
どんなにいらいらしていても、
ご先祖様の前でお経を唱え、気持ちを落ち着かせることで、
自分自身を振り返ることができたのです。
お経自体が幸せを呼ぶのではない
それをすることによって、自分を成長させ、
自分を落ち着かせ、自分を反省して、
そうすることで、結果としてしあわせをひきこむことができるようになる、ということなのです。
これは、別にお経に限ったことではありません。
世の中のすべての事象は、すべからく自分をコントロールするためのヒントなのです。
それを受け止めることができるかどうか。ただそれだけなのです。
ましてや、他人をコントロールするためでもないし、
人をよくするということでもない。
なによりも、いやおそらくただ唯一、「自分を変えるためのヒント」なのだと。
そう考えて行動することができれば、
世の中のたいていの問題は解決すると、そう信じています。
まあ、言葉でいうのは簡単ですが、
なかなかに、こうした実体験を基にしていても、
気を抜くと「人を変えよう」としてしまったり、
「他人のせい」にしてしまったり、
「これをやっているのになぜだめなんだ」と憤ったりしてしまいます。
が、常に「自分をコントロールする」ということを意識しなおすことで、
少しずつでも自分を変えていけたらいいのではないか。
そう考えて、今を生きています。
昨年一年間は、特に他人のせいにして、
自分自身から逃げていた部分が多々あります。
それを思い返しながら、自分のことをふりかえり、
自分をコントロールしていける人間になろうと、そう思っています。
Posted by くみちょう at 21:30│Comments(2)
│まじめ
この記事へのコメント
自分をコントロールできない、どころかする気も無いらしい。
こまつたもんだね、ワタクシ(笑)
こまつたもんだね、ワタクシ(笑)
Posted by とこぶし at 2010年02月24日 21:56
>とこぶしさん
まあ、そんな生き方もありですね(笑)
細かいことは気にせずいければベスト(^-^)v
気にしまくっちゃう私みたいなのもいますが(^_^;)
まあ、そんな生き方もありですね(笑)
細かいことは気にせずいければベスト(^-^)v
気にしまくっちゃう私みたいなのもいますが(^_^;)
Posted by くみちょう at 2010年03月01日 20:00