2010年03月17日

「マイナス思考」と「プラス思考」

「あなたみたいに、なんでも前向きにとらえられる人間には、
私みたいな【人を攻撃することでしか生きられない人間】の気持ちは、
理解できないでしょうね!!!」

そんな言葉もあり、
また以前からずっと感じていた
「プラス思考」と「マイナス思考」
それを「できる人間」「できない人間」として括ってしまうことへのギャップに対しての、

「自分なりの答えを見つけたい」

そんな想いから、今年一年間は、「マイナス思考」もしてみるようにしてきました。

「マイナス思考」と「プラス思考」



「人の陰口」や「○○のせいで・・・」といった言葉も、
あえてそう考えて受けてみたり、それを発言する意図を考えるようにしていました。

で、現状での一つの結論。
私はやっぱり「楽しいことが人生だ!!」として、
プラス思考で生きていく方が、自分の人生としてよい、ということでした。

正直、マイナス思考がツラい
夜になると、それが悔やまれたりして、寝られなかったり、
昼間、人と話をしているのがツラくて、会いたくなくて胸が苦しくなったり、

今年一年、異常なほどに体調を崩していたことも含めて、
「マイナス思考」は私にはあっていない、ということを実感しました。


ただ、それだけだと「プラス思考」と「マイナス思考」の溝は埋まりません。
そこで、その違いというか、ギャップというかについて、感じたところがあります。
とことん「マイナス思考」と付き合ってきた中で、自分なりにわかったこと。それは、

「マイナス思考をしたくてしているわけではない」ということ。

本当は、それをすることで人から嫌われたり、
嫌な思いをするというのはわかっている。

わかってはいるけども、他に選択肢がない、
またはできないで悩んでいる
、ということ。

自分は苦しんでいる。その苦しみをわかってもらいたい。
なんとかしてもらいたい、という想いの中で、
そんな自分を表現する方法として
「人に怒鳴り散らす」
「人をバカにする」
「嘆き悲しむ」
ことしかできない。

そうではない表現の仕方がわかれば、
それを実践できる自分になるか、または自分でもできる方法がわかれば、
それは解決できるのに・・・


結局、人は「誰かに認識してもらいたい生き物」なのかもしれません。

「プラス思考」も、「マイナス思考」も、同じベクトル上でのことなのです。
反対のようでいて、そうではない。

そう、「マイナス思考」の人も、「自分が認められる」ことさえできれば、
わざわざ「マイナス思考」をして、人に嫌われるようなことをする必要はなくなるんですよね。


ただ、それを無理やりに変えていくとしたら、
やっていることは何も変わりません。
ですので、「本人が変わっていくまで、付き添い続けること」が必要だと感じています。

それができるのが、「愛」なのかもしれません。
なんだか、そんなことを、今年一年間やってきたこととして感じています。


・・・って、今年度の最後を「愛」でまとめるなんて、
どっかの新興宗教かって思っちゃいました(爆)

「人生楽しみ組」の「くみちょう」として、
「人生楽しみ教」でも布教してみようかな(笑)


「人生を楽しみたい人」、私とともに楽しみを見つけてみませんか。
そう、しあわせはあなたの中にあります。それを一緒に確認しましょう。
いまなら入会金、年会費無料。いますぐコメントを!!(爆)





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Posted by くみちょう at 21:30│Comments(0)まじめ
 
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