2012年02月09日

上の世代から託された想い

【自分はなぜ「学び」「考え」続けているのか】
~上の世代から託された想い~

大学生の時、大学近隣の畑を耕すおばあさんと
3時間立ち話をしていたことがあります。
もちろん、「はじめまして」な方であり、
かつ「一度きり」の出会いでしたが、
その「おばあさん」とのお話が、自分の中では
すごく「生きづいている」ので、そのお話をと思います。


私が、たまたま友人と一緒に大学周辺を散策していた時のこと、
ふと、畑を耕すそのおばあさんと目が合いました。
「こんにちわー」
私が声をかけると
「こんにちわ」
と返してくれました。
「元気のいいあいさつだねぇ」
なんて言ってくれたのがうれしくて、
「ありがとうございます♪」
とにこやかに返しました。

・・・
そこからの流れは、あまりにも当たり前な会話だったもので、
(天気いいですね。とか、このあたりも開発が進んで・・・とか)
どう話をしたのかはおぼえていません。

ただ、途中で一緒にいた友達は
「ごめん、おれは先に行くよ」
ということで、私とそのおばあさんの二人の会話になったのでした。

小一時間(本当に一時間ちょっとくらいでしょうか)話をして、
ふと、「あなたは大学生かい?」
なんて話になりました。

「そうですよ。」
なんて話をした時のこと、

「私たちの分まで、勉強がんばってね。」

この言葉に、私は反応しました。
それは、大学に入学し、勉強してきた中で、
まわりに言われてきたこと、自分が経験してきた中で、
「大学で学ぶことの意味」に疑問を感じていたからです。

「お前ら大学生は、所詮勉強ばっかりで、
世の中のことなんてわかりゃしないんだから。
大学なんて行って勉強なんてしてる暇があったら、
とっとと社会に出て仕事しろよ」

そんな言葉も聴いていたし、

教育実習先で言われた言葉
「ほれ、なんの指導もしないからやってみな。
えっ、できないの?何を大学で学んできたの?
というか、教育実習来て教えてもらえるとでも思ったの?
できもしないなら、何しに大学行ってるの?
おかしいんじゃないの?」

そんな言葉もいただきまして、
(いま考えると、おかげでいろんなことを考えたし、
行動するきっかけをいただいて、ありがたいことです)
自分自身、かなり迷っていたり、
考え込んでいた時期でもありました。


そんな事情もあり、ついこんなことを口走ってしまったのです。
「おばあちゃん、こんな話もなんだけど、
おばあちゃんは僕らに勉強して欲しいと、
ホントにそう思ってますか?」


そのおばあちゃんは「もちろんだよ!!」と。
そこからおばあちゃんはこう答えました。

「あたしたちの時代は、食べるのに、
生きていくのに精いっぱいだったからねぇ。
本当は、いろんなことを考えたり、勉強したりしたかった。
【大学で勉強する】なんて、夢のまた夢の話さね。
だから、自分の子供たちや、孫たちには、
「勉強したいのに生活に苦しくてできない」とか
そういうことがないようにと思って、
一生懸命働いてきたんだよ。
だから、こうして若い子たちが大学で勉強している姿を見ると
それでしあわせなんだよね。
ホント、あたしたちができなかった分まで、
一生懸命勉強してくれたら、それが一番だよ」



こう話してくれたおばあちゃんの姿は
本当に自信にあふれた、
心の底から言ってる言葉だなと、そう感じられたものでした。

「ありがたい・・・」
そう心から思える、素敵な言葉だなと思いました。



それまでの自分は、「今の日本の若い子たちはダメだ。
豊かすぎるんだよ。貧しくなればいいんだ!!」
そんなことを話すコメンテーターや専門家きどりの
人がいて、そうした話をテレビ等で聴いていて、
「豊かなのがいけないのか」とも考えたり、
その最たるものである自分はダメなやつなんだと思っていました。

でも、このおばあちゃんの言葉を聴いて
「豊か」なのは「おばあちゃんやおじいちゃんといった世代が
のちのことを考えてがんばってくれたおかげであって、
それを【豊かすぎるからダメなんだ】とは何事か!!」
という、むしろ怒りの感情がこみ上げてきたものでした。

なぜ、「豊か」にしてくれた世代に対しての感謝ができず、
むしろ「おまえらのせいだ!!」なんて言葉が出てくるのか、と。


当時、そうした感情を持つとともに、
「よし、自分も、もっとこの悩んでいることを
解決できるかもしれない方法を模索しながら、
とにもかくにも、動いて、考えて、また動き続けていこう」
そう、決心したのでした。


今の自分の活動を支えてくれる、
そんな大切な想いの元となったお話でした。


「物質的な豊かさ」は、
「何のために」それを追い求めてきたのか
という大切な「目的」があってこそ意味があることであり、
そのこと自体に満足していては意味がない。

その先にある目的のためには、
これを土台にして、「知識や経験」を積み重ねていく必要がある。

「生きる意味」や「上の世代から引き継ぐ」というのは
そういうことなんじゃないだろうか。

川の流れのように、
このおばあさんの想いが自分の中にも脈々と流れているのを感じて生きていく。

上の世代から託された想い



そう感じ、そう考え、そう行動し続けたいと思います。


このおばあさんとの一期一会の出会いに感謝を込めて。



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Posted by くみちょう at 20:00│Comments(0)まじめ
 
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