2010年08月27日

自己否定の負のスパイラルをとめるには

自己否定的な人と普通の人は、自信を得るプロセスは同じなのだが、自信を失うプロセスが違う。
普通の人は、失敗をしても、今までの自信の一部を失うだけ。
これまで貯めてきた「自信」の預金残高がいくらか減るぐらいだ。
充分な貯金があれば、一つの失敗で、すぐに自己否定まで行くことはない。
一方、自己否定的な人にとって、自信を失うというのは、預金口座を失うことだ。
残高がいくらあろうと、その時点で破産して振り出しに戻ってしまう。
いくら他人の評価を積み重ねようと、一つの失敗で自己評価がリセットされてしまうのだから、
いつまで経っても堂々巡りだ。

他人が肯定しても、自己否定的な人間は自分を肯定できない


よく、この手の話をすると、
「努力していないというのか!!」
「私だってがんばっているんだ!!」

と怒りだす人がいるが、そういうことではない。

「努力の方向性を変えよう」という話なのだ。

自己否定の負のスパイラルをとめるには



他人からの評価をいくら積み重ねようとしても何の意味もない。
一瞬で崩れてしまう砂上の楼閣をいくらつくっても、
崩れる時はあっという間なのだ。

とか言っている私自身、気がつくと、そういった人たちを評価しまくる。
自信をつけてもらおうと思って、その人を評価するのだ。
だが、それは砂上の楼閣を一緒に築いているだけであって、意味はない。
逆に、「せっかく一緒につくってあげたのに・・・」
とむしろその人を責めることにもなりかねない。

それでは、意味がない。

では、どうしたらいいのか。
そこで必要なものが「愛」なのだと思う。
いきなり「愛」なんていうと難しいもののようにも思えるかもしれないが、
この場合の「愛」とは、その人を無条件で大切にすること

どこかに、自分を必要としてくれている人を見つけたときに、
自分が「誰かの役に立っている」ということを実感できる人に出会えた時、
「自分を大切にしてくれている」と感じられる人に出会えた時に、
そうした負のスパイラルはとまるのだ。

うつろいゆく「評価」ではなく、
「存在そのものを認めてくれること」
そこに行き着けるかどうかなのだと、そう感じています。


それはもちろん、簡単なことではありませんが、
だからこそ、一生をかけてでも見つけていく価値があるのだと、そう思います。


そういう相手を伴侶として見つけることができたなら、
これ以上ないしあわせな結婚生活を送れるだろうなとも、思っています。







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Posted by くみちょう at 23:00│Comments(0)まじめ
 
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