2011年01月10日

人間が生きる意味

人間って何?13歳中学生の手紙から考える

ちょうど2年前の記事ですが、
こちらにコメントが寄せられておりました。

それに対して、改めて自分なりに
「人間が、自分が生きる意味」について
問い直してみました。

人間が生きる意味



私も、自分の存在がわからなくなっていた時期があります。

自分なんて、いてもいなくてもかわらないじゃないか。
むしろ、人に迷惑ばかりかけているのだから
死んだほうが世の中のためなんじゃないか、って。

「当たり前」に生活できることを、
「当たり前」として流していて、
自分たちがしていることに悩みすらしないで、
「そんなことに悩む暇があったら
勉強するなり、仕事するなりしなさい」
などと言ってくる人たちを相手に、恨みを持つようなこともありました。

「こいつら、なんでわかっていないんだ」
そんな憤りすら持っていました。

でも、自分で調べたり、できることをしないで
文句だけつけていたのでは、それこそなんにもならない。

だから、自分なりにも色々と調べてみたりしました。

哲学・宗教・物理学から心理学・・・
実際に、自殺した親友の遺書、
死ぬ間際に話をしていた内容など、
自身の体験とも踏まえて、感じてきたことをまとめてみて・・・

そこで、いま現在の自分が行き着いたこと、
それは「楽しいことが人生だ!!」なのです。
自分が楽しく生きること、生きやすい生き方を模索すること。

「生きる意味」なんて、考えても答えはありません。
生物学、物理学などに基づいて考えるのであれば、
ただそこに「物質」として存在しているだけです。

すべては途中経過であって、
新しいものができては消えて、
消えてはできてを繰り返し、

ある地点に到達した段階で、
また元に戻るとも言われています。

つまり、人間一人ひとりどころか、
この世の中自体が、「意味のない繰り返し」なのです。

だとしたら、私たちの存在する意味はどこにあるのか。
世の中全体としてみたら、確かに小さいし、
それこそ宇宙規模で考えて、数百億年、これから先の数千億年で考えてみると
まったくもって意味のない存在です。

じゃあ、すべてが意味がなく、
自分は無駄な存在だとしてこれからも生きていかなくちゃいけないのか?
だとすると、自分はダメで、他の人はいい、という理由はなんなのか。

世の中でスゴいと言われる人はたくさんいます。
それこそ、キリストや仏陀、マホメットや孔子。
でも、それでもたかが2000年程度。しかも人間にしか影響していない。

人間のなかでもっとも世界に影響を与えているであろう彼らですら、
この世の中すべてと比較したらなんの価値もない。

あと45億年後にこのまま地球が太陽に飲み込まれた際には、すべては無くなる。


でも、いまを生きる私たちにとってはそれなりの意味があるから、
スゴいと言われるし、いまでも伝えられている。


実は、私たちが生きる意味も、そこにあると思います。

何百万年も、何億年も、宇宙規模では、
まさに浮かんでは消える水の泡かもしれない。
でも、一瞬一瞬において、
その一瞬しか生きていない私たちは、
その一瞬がすべてなんです。

だからこそ、
いま目の前にある自分の人生を楽しむこと、
よい人生だとか、
みんなからうらやましがられる人生ではなく、
あくまで自分がいかにいまの自分の人生を納得して生きていけるのか。

そこにおいて、絶対的な世の中の真理だとか、
人間とはこうである、なんてものはない。

あくまで、「自分はこう生きる」ということ。ただそれだけ。

人に迷惑をかけるのが嫌なら、迷惑をかけずに済む生き方を模索して、できるかぎりそうして生きる。

私みたいに「楽しく生きる」ことが一番自分にとってよいと思えば、そうして生きる。


どうしていいかわからなかったら、自分で選べるように、
色んなことを試してみながら、
勉強しながら、経験しながら、
いつかその中から自分のやりたいこと、目指す生き方が見つかるまでもがき続ける、

それが、人間が生きる意味、
いまの自分ができることじゃないのかなと、そう思っています。


もちろん、そうじゃない、という人もいるだろうし、
さらに「楽しい生き方」の具体的な内容もあったりしますが、
そうした枝葉の部分はなんとでもなること。


自分が生きる意味を見つけるのもまた、自分自身。

見つからずにもがいて、もがいて、もがき抜いて、
例え見つからなくても、
自分がしてきたことに納得ができれば、それがよい人生であって、
私にとっては、それが「楽しい人生」だと、そう感じて、生きています。



ちなみに、「私の生きる意味」は、

これから先の未来がどうなるかなんてわからないし、
世界を変えられるかどうかもわからない。

だけど、自分はこんな世の中に生まれてきてよかったし、
こんなふうに自分を育ててくれた親、兄弟、先生、地元の文化や自然をありがたいと感じているので、
自分が感じたその「感謝」を、そのまま次世代に受け渡すことが自分の生き方だと、

「過去を受け継ぎ、未来に受け渡す。
そのための今を生きるのが私である。」

そう考えています。

いいと思うかどうかは
すべては人にまかせて。

自分は自分のいいと思った生き方をするだけ。

ちょっと長くなりましたが、
これが私の生き方であり、
生きる意味であり、
人間観です。

この文章を読んでいらっしゃる方にとって、
これがなにがしかの意味を持つならば、それはなによりものよろこびです。



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Posted by くみちょう at 18:00│Comments(0)まじめ
 
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