2011年08月09日

正解がないのが世の中

長文ですが、これを読んでみて、
というところでの内容です。

~以下、本文~

子供の頃、ミッションスクールで聞いた話。

昔ある町に、運河に架けられた大きな橋があり、
通常は船の通行のために橋は上げられていた。

一日に一回、列車が通るタイミングにあわせてその
橋を降ろす操作をする駅員(?)がおり、彼は敬謙なクリスチャンだった。

ある日、彼の小さな息子が彼の妻からの届け物を携えて彼の職場を訪れた。
駅員が目を離したすきに、息子は橋の操作レバーの箱に
入り込んでしまい、抜け出せなくなった。

駅員は必死で息子を救い出そうとしたが、
無情にも列車の通過時刻は目前に迫り、
彼は息子一人の命と乗客数百人の命、
どちらかを救う為にどちらを犠牲にするか
という途方もない決断を迫られた。

カンカンカンカン‥と鳴り響く列車の到着を知らせる

合図を聞き、ついに彼は、涙ながらに、愛しい我が子を押し潰す
金属製の巨大な歯車を動かすレバーを、渾身の力をこめて降ろした。

自己犠牲の精神を伝える逸話らしいが、なんだかな‥と子供心に思った。

もちろん今ならリスク管理の問題になるんだろうが
そうではなく、もし自分が駅員で、箱の中の息子が
自分の母親や恋人だったら‥と思うとレバーを降ろせない
のではないかと思う。

しかし仮に息子を助ける為に乗客を犠牲にしても、
どんな人生が待っているかと考えると、結局駅員と同じ
ことをして自分も後を追うしかないのだろうか?

<ネタ元>
「考えさせられる話」

正解がないのが世の中



こういう話を聴いていて思いますが、
ホント、世の中には「答えがない」ってこと、多いですよね。
こういう極端な話だと、「どっちも答えられないよ」と言えますが、
どこまではいいづらいような、どっちとも言える、ということ。

そして、都合のいいように、
上記の事例では、自己犠牲の話をちょうどよく話すことで、
さもそれがいいかのように、事例として話をしている。

・・・まあ、そんな話をしている今この文章も、
「どちらともとれるよ」ということを伝えるために用いておりますが。


「正解がないのが世の中」

だけど、さも正解があるかのように話しているのも世の中

そんなことをあらためて考えています。



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Posted by くみちょう at 21:30│Comments(0)まじめ
 
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