2011年08月13日

ケンカも呼び捨てもそこに心があればいい

ある男の子のお母さんが言いました。

「うちの子が、呼び捨てにされているのを聴いて、
【カチン】と来る相手と、そうでない相手がいます。
なので、気をつけてもらいたいのですが・・・」

ケンカも呼び捨てもそこに心があればいい



子ども同士のケンカもそうだし、
呼び捨てで呼び合うとかもそうなんだけども、

「そこに心があればいい」と感じています。

一見、同じ呼び捨てでも、
「相手を見下して言っている子」
「親しみを込めて言っている子」では、
明らかに違って聴こえるものです。

この時の言葉は、本当に【聴】こえる。

【耳】に【+】して【目】と【心】で感じる声

子ども同士でのケンカの原因としてもそうだし、ケンカしていること自体も
「そのケンカが元でより一層仲良くなるケンカ」もあれば、
「ただ相手を貶めるだけのより一層仲が悪くなるケンカ」もある。

いずれにも、そこに「心」があるかどうか。

そして、そういう「心がない子」ほど、
【みんな呼び捨てにしているのになんで悪いの?】とか
【誰だってケンカするじゃん!!なにがいけないの?】と反抗してくる。

呼び捨てにした、ケンカをした、その背景にある心模様。

これは、まわりも感じるほどにわかりやすく出ている。

ましてや本人は絶対にわかっているハズ。


ケンカも呼び捨ても、それ自体がダメということではなく、
そこに心があれば、必要な途中経過だと、そんなことを感じています。



そして・・・できれば、「心がない」と感じられるような子たちも、
どこかにそうなる原因があるんだろうな、と。
なんとか、そこにも変わっていくきっかけづくりができたらと思っています。


子どもたち同士だけではなく、大人になっても、それは同じだと。
「心がある」そして、それが伝わるということ。

考えていきたいものです。



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Posted by くみちょう at 21:50│Comments(0)まじめ
 
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