2011年10月25日
ガキ大将っていつからいなくなったの?
私が小さい頃には、まだガキ大将がいました。
公園で遊び、野山を駆け巡り、
そうした際に必ず「おいっ!!!」って声をかけて、
みんなを仕切っていたガキ大将が。

でも、いつからかいなくなったなと。
「いま、学校内部でも【異年齢集団】って言葉は、
中学校の部活でしか見なくなったよね。
我々の頃は、当たり前のように上級生、下級生たちとも
遊んでいたものだったけども。。。」
「昔はみんな、公園に集まって、それぞれが公園の端の方に、
独自の秘密基地つくって、そこに行けばみんないたよね。
年齢とか関係なく、さ」
「そうそう、で、川でも遊べたよね。
泳ぐのが下手だったり、ちょっと調子に乗ったりして、
そうすると溺れかけたりして。
そこで危険なこととかに気がつくわけ。」
「山とか、遠くにも遊びに行ってね。
今だとすれば、【問題児】だったわけだよね、みんな。」
「そうそう。でもそういう時に、
【ガキ大将」がいてさ。
【お前はまだ早い】とか、
【お前はこれができるようになったら参加していい】
なーんて、偉そうなこと言いながら。
実はそれが、きちんと年下を育てながら見てくれていたんだよね」
今日、こんな話をしていました。
ガキ大将、それってすごくいいシステムだったなと。
いまにして思えば、こんなに子どもの教育にとって、
すばらしいシステムはなかったな、と。
自分たちの中で、自ずと教え、伝えあう、
そして、守り、守られる世界を知ってきた。
世代を超えて交流することができていた。
その世界は、はたしていつなくなったのか・・・・
でも、考えてみたら、実は私が最後の世代なんですよね。
「公園で遊んでいたガキ大将グループ」の。
「自分より後輩ができるから」
と言われ続けて、結局最後まで、自分より年下は現れなかった。
私は32歳。昭和53年生まれ。
どうやら、周りにきいてみても、この年代が最後のようです。
いまの30台をラインとして、外で遊ばなくなった。
でも、「遊ばなくなった」のではなく、
「遊ぶことが禁止された」時代だとも。
よく言われる「ゲーム」だとか「室内で遊べるもの」がたくさん出てきたから、
外で遊ばなくなったんだ、との声も聞かれますが、そんなことはない。
ゲームがあっても、外で遊んだものでした。
改めて、思い返してみると。。。
ちょうど、自分が小学校入学したあたりから、
「学習塾」が流行りだし、気がつけばみんな塾に通うようになっていたな、と。
また、ちょうどそのころから、野山の光景が、
「土埃まう中」「砂利道」「桑畑」から、
「アスファルト」に変わっていったものでした。
また、世間的にも、連続殺人事件などが発生したり、
川や山で亡くなるこどもたちなどがニュースになったりして。
気がつけば、「外は危険」というイメージがついてきたのも、
まさにその時だったな、と。
昭和50年代後半から、平成にかけて。
実はこの年代もまた、激動の時代だったのではないだろうか。
そんな中、自分たちは運よく、そうしたガキ大将とともに
遊ぶ経験を通じて、大切なことを学んできた。
けれども、それよりも下の世代は、
親がその場にいない限りは、遊べないような、
そんな世界になってしまったのではないか。
誰が悪いわけでもなく、
時代がこうした変化をしてきたわけで。
アスファルトになることで、
デパートができることで、
塾ができることで、
いろんなメリットが生まれ、当時は喜んだものでした。
だから、いまさら元に戻そうってことはまた矛盾していると思います。
そうではなく、今の時代にも同じように、
ガキ大将のシステムのように、異年齢が集まってみんなで助け合えるような、
学び合えるようなものがあればいいのではないか、と。
そんなことを、感じています。
みなさんは、小さい頃を思い出して、いかがですか?
ガキ大将、
公園でやった草野球や、ドッジボール、
缶けり、おにごっこ、秘密基地づくりなどなど。。。
何か、そこから学んだことを思い出しています。
公園で遊び、野山を駆け巡り、
そうした際に必ず「おいっ!!!」って声をかけて、
みんなを仕切っていたガキ大将が。

でも、いつからかいなくなったなと。
「いま、学校内部でも【異年齢集団】って言葉は、
中学校の部活でしか見なくなったよね。
我々の頃は、当たり前のように上級生、下級生たちとも
遊んでいたものだったけども。。。」
「昔はみんな、公園に集まって、それぞれが公園の端の方に、
独自の秘密基地つくって、そこに行けばみんないたよね。
年齢とか関係なく、さ」
「そうそう、で、川でも遊べたよね。
泳ぐのが下手だったり、ちょっと調子に乗ったりして、
そうすると溺れかけたりして。
そこで危険なこととかに気がつくわけ。」
「山とか、遠くにも遊びに行ってね。
今だとすれば、【問題児】だったわけだよね、みんな。」
「そうそう。でもそういう時に、
【ガキ大将」がいてさ。
【お前はまだ早い】とか、
【お前はこれができるようになったら参加していい】
なーんて、偉そうなこと言いながら。
実はそれが、きちんと年下を育てながら見てくれていたんだよね」
今日、こんな話をしていました。
ガキ大将、それってすごくいいシステムだったなと。
いまにして思えば、こんなに子どもの教育にとって、
すばらしいシステムはなかったな、と。
自分たちの中で、自ずと教え、伝えあう、
そして、守り、守られる世界を知ってきた。
世代を超えて交流することができていた。
その世界は、はたしていつなくなったのか・・・・
でも、考えてみたら、実は私が最後の世代なんですよね。
「公園で遊んでいたガキ大将グループ」の。
「自分より後輩ができるから」
と言われ続けて、結局最後まで、自分より年下は現れなかった。
私は32歳。昭和53年生まれ。
どうやら、周りにきいてみても、この年代が最後のようです。
いまの30台をラインとして、外で遊ばなくなった。
でも、「遊ばなくなった」のではなく、
「遊ぶことが禁止された」時代だとも。
よく言われる「ゲーム」だとか「室内で遊べるもの」がたくさん出てきたから、
外で遊ばなくなったんだ、との声も聞かれますが、そんなことはない。
ゲームがあっても、外で遊んだものでした。
改めて、思い返してみると。。。
ちょうど、自分が小学校入学したあたりから、
「学習塾」が流行りだし、気がつけばみんな塾に通うようになっていたな、と。
また、ちょうどそのころから、野山の光景が、
「土埃まう中」「砂利道」「桑畑」から、
「アスファルト」に変わっていったものでした。
また、世間的にも、連続殺人事件などが発生したり、
川や山で亡くなるこどもたちなどがニュースになったりして。
気がつけば、「外は危険」というイメージがついてきたのも、
まさにその時だったな、と。
昭和50年代後半から、平成にかけて。
実はこの年代もまた、激動の時代だったのではないだろうか。
そんな中、自分たちは運よく、そうしたガキ大将とともに
遊ぶ経験を通じて、大切なことを学んできた。
けれども、それよりも下の世代は、
親がその場にいない限りは、遊べないような、
そんな世界になってしまったのではないか。
誰が悪いわけでもなく、
時代がこうした変化をしてきたわけで。
アスファルトになることで、
デパートができることで、
塾ができることで、
いろんなメリットが生まれ、当時は喜んだものでした。
だから、いまさら元に戻そうってことはまた矛盾していると思います。
そうではなく、今の時代にも同じように、
ガキ大将のシステムのように、異年齢が集まってみんなで助け合えるような、
学び合えるようなものがあればいいのではないか、と。
そんなことを、感じています。
みなさんは、小さい頃を思い出して、いかがですか?
ガキ大将、
公園でやった草野球や、ドッジボール、
缶けり、おにごっこ、秘密基地づくりなどなど。。。
何か、そこから学んだことを思い出しています。
Posted by くみちょう at 21:00│Comments(0)
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