2008年09月29日

つくられたしあわせ

本日は非常に大切なお話です。
真剣に、自分の想いと重なりますので、みなさんも考えてみてください。


私の親友「埼玉のハチ」のブログにて紹介されていた
「日本人の幸福観」 http://joppari-8blog.jugem.jp/?eid=168
これが非常に考えさせられる内容ですので、ご紹介いたします。


先日の讀賣新聞に、讀売新聞本社がおこなっている、世論調査『日本人』の結果が載っていました。

テーマは『幸福観』です。

努力と結果のどちらが重視されることに幸せを感じる?

努力・・・71%
結果・・・25%


「幸せ」とは?

何も悪いことが起こらないこと・・・69%
何か良いことが起こること  ・・・29%


人は努力すれば幸せになれると思う?

なれると思う ・・・69%
なれないと思う・・・28%

現在の自分を幸福だと思いますか?

幸福だと思う・・・88%
不幸だと思う・・・10%

今よりもっと幸せになりたい?それとも今ぐらいでいい?

もっと幸せになりたい・・・43%
今ぐらいでよい    ・・・57%


この結果を見て、
日本人は、現状の大切さに気がつけていて、
結果よりも努力を優先するすばらしい状況にあります。(^o^)


なーんて、これ見て言える・・・わけがありませんよね。(×_×)

「努力をすることがしあわせにつながる」と思っているのに、
「現状に満足している」というのはこれいかに?

「何も悪いことがおこらないこと」を「しあわせ」とするということは、
「悪いことが起こるくらいなら、いいことも起こらなくていい」ってこと。

それって、「努力して結果が出ないで苦しむくらいなら努力しないほうを選ぶ」ってことですよね?

おかしくないですか?矛盾してませんか?

先日、ある友人が私に言った言葉、
「努力すればいい人生になることはわかっている。
わかっているけども、苦労して、努力してまでいまよりもいい人生を送りたいとは思わない。
みんなと酒でも飲みながら、わいわいとちょっとした愚痴を言い合っていくのがいい。
もう十分に満たされているじゃないか!!」



・・・これって、このアンケート結果の代表例ではないのでしょうか。

それって、「いまの結果に満足している」ということであって、
「努力すること」を評価対象にはしていないですよね?

なにそれ?

結果で判断するような冷徹な人にはなりたくない。
けども、自分は努力はしたくない。
ってこと?

「すっげー自分勝手」な考え方に思えるのは、気のせいですか?


「いまを大切にする」
「まわりに感謝する」


こうした言葉が先行していて、その真の意味を考えていないのではないでしょうか?

たしかに、現状の自分のしあわせについて、感謝する気持ちは大切です。
しかし、それは「与えられたしあわせ」でしかないのです。
そこから先にある「自分のしあわせ」を努力してつかみとることでしか、本当のしあわせは訪れません。

現状に満足している、というのは、それは自分は努力せずに、
与えられたものにだけしあわせを感じるという、不満を抑えるために「つくられたしあわせ」
浸っているだけなのではないでしょうか。

そりゃ楽ですよね。努力したふりをして、現状を「努力の成果」としておけばいいのだから。

でもそれって、「本当にしあわせなんですか?」

おぼろげながらに感じていた「日本人の幸福観」が、データで出てきたことで、ある意味、確信を持ちました。

「つくられたしあわせ」でもって、努力することを放棄した社会には未来はない、と。


あなたがいま「現状に満足している」というそのしあわせ、

それって本当に「あなたの努力で手に入れたしあわせ」ですか?

なすがままにまかせて結果的に「しあわせ」と感じているだけじゃないですか?

いや、「無理やり自分を納得」させていませんか?

それも「他人との比較の中」で。


そんなしあわせ、「うそっぱちだ」と、私は言い切ります。

自分のしあわせは自分の努力で達成するもの。
自分のしあわせのための一歩は、自分でしか歩めない。

つくられたしあわせ



本気でそう言うならば、少なくとも「不幸がなければいい」なんて消極的なしあわせがあるはずない

そもそも、不幸がないなら幸福もない。


願わくば、同じときを、同じ場所で生きる人たちには、
そんな「つくられたしあわせ」ではなく、「真のしあわせ」をつくって生きたい。

不幸があるからこそ、幸福があるのだ。

そう、思っています。

それが私の想いであり、エゴです。

「不幸を楽しむプロジェクト」

本当に、このプロジェクトを推し進めていかないと、
「不幸がやだ~!!」と努力、挑戦をしない人たちが増え続けてしまうと感じました。

努力というのは、不幸を乗り越えることにあるのだと、私はそう思います。
その先にある「楽しい人生」に向けて、一歩を踏み出しましょう。



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Posted by くみちょう at 18:00│Comments(3)まじめ
この記事へのコメント
そうなのよねーー
私の周りにもそういう人が多い気がします
今のままでも良いんじゃない??
って、ホントは努力することから逃げているだけだと思います
だから、夢を持った子供が少なくなっているのかも知れませんね
Posted by beepのママbeepのママ at 2008年09月29日 19:13
幸せですか?
…なんとも抽象的な質問ですよね。
そのときにたまたまイライラしていたりしただけで答えが変わってしまいそうな…
だから不幸もまた同様ですね。

私なんかは、日本に生まれることが出来たし、結婚することも出来たし、子どもも二人もうけることもできました。
ある人から見れば、幸せでも不幸でもあるのかもしれません。
でも、私自身、ここに至るまで苦労もしたし悩むこともありましたが、特に努力したという感覚はないです。

主観でよければ、いま享受しているこの幸せを“幸せ”と言い切れます。

もっとも、現状で満足しているかと言えば、そうとも言い切れず…
今後の自分の人生、家族の人生を考える上で、努力して何かを掴もうと考える姿勢は大切だと気付かされました。


応援ぽちっ☆
Posted by チャッキーチャッキー at 2008年09月29日 19:16
くみちょう、グッジョブ!
Posted by 埼玉のハチ at 2008年09月30日 09:39
 
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つくられたしあわせ
    コメント(3)