2008年11月10日

目の前にある日常

「目の前にある日常をどれだけしっかりとできるのか」

このことを改めて考えるきっかけをいただけたくみちょうです。


私は、教育相談、カウンセリングを行っているわけですが、
その中で話が出てきた内容が、上記の言葉でした。

このお話、まずは親と子のそれぞれ別々にお話を聴いてみました。

子どもにお話を聴いてみると、「親が子離れをしてくれない。余計なことにちょっかいを出して、
めちゃくちゃにしてしまうのは親のほうだ。だから、親を何とかして欲しい」
ということでした。

そこで、続いて親にお話を聴いてみました。

「たしかに、私は色々と気をもんで、精神的にも参っています。
それとわかっていても、私は子どもを信用して安心してみていることができないんです」


ふむ。たしかにそれが親心ってものですよね。
自覚していないなら問題あるけども、自分で自覚しているなら、話は早い。
さて、どこかで親離れ、子離れしなくてはいけない。

そんなわけで、どういったところが「子どもの信用できないところ」なのかを聴いてみました。

そうしたら、すっごく大切なことをお話してくれました。

「細かなひとつひとつは、私はこの子が自分でやることだから別にかまわない。
子供としては「お母さんが口出ししたり、手出ししすぎるから何もできない」とも言う。
でも、どうして口を出したり手を出すのか、それは【日常ができていないから】と。

ご飯食べたら食べっぱなし。服を脱いだら脱ぎっぱなし。片付け、掃除をしない。
でも、そんなことよりも何よりも【挨拶ができない】【声が小さい】【元気がない】
これができてないのに、他のことができるとは思えない。
どんなにできると言われても信用できないんです。」


この話を聴いたときに「ドキッ」としました。
本当に、毎日毎日のできごとが重要だと。
それができていないのに、他ができる、なんてことを信用できるのだろうか、と。

その親御さんは、こんなことも付け加えました。

「けっきょく、言葉と行動が一致しているかどうかなんですよね。
うちの子、けっきょく【やれる】と言っても、その実態がないんです。」と。

相談を受けにいった私が、逆に「そうなんだよな・・・」と学ばせてもらうことになりました。

目の前にある日常をしっかりとできていない人間が、
「僕はしっかりとできるから信用してくれ!!」と話したところでどこにも説得力はない。
言葉と行動が一致しているかどうか。
それって、いま目の前にある日常をどれだけしっかりと生きているのか、が答えなんですよね。

自分に対して問い直してみたときにも、
それを自信をもって答えられる自分でなくてはいけないなと、
本当にそのことを思い返しました。


しかしながら、最後に親御さんがお話してくれたこの言葉が、
また現実を指し示しているなと思いますので、最後に掲載しておきます。

「でも、これを子供に教えることができなかった私がいるわけですけどね・・・・」

目の前にある日常




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Posted by くみちょう at 19:00│Comments(0)まじめ
 
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