2009年10月19日

「死」は衝動的で「生」は覚悟が必要

小売業をしている39歳です。

昨年11月くらいから末端の景気も悪くなってきて、
ここ3ヶ月くらい前から経営が酷い状態です。
派遣労働に登録して足りない分をそちらで補うようになり
仕事が増えているのに赤字が減らず、もう毎月ギリギリ以下で生活しています。

来年には子供の高校受験もあり、
入学金や学費を貯めなければいけないのに赤字経営でどうにもなりません。
私の中ではすでに2つの選択をしています。
死か犯罪かどちらかです。
もうどん詰まりです。

妻からもお金を借りて、その返済をめぐって毎日嫌味を言われ続けていますが、
私も寝ないで仕事をして何とかしようと努力していますが、
設備投資する資金もなく堕ちるとこまで堕ちました。
毎月毎月もう辛く楽になりたいです。

打ち明ける事で別の解決方法があるものか
ギリギリまで考えたいと思いますがもう限界。

死か犯罪か…行き詰った小売業の選択

「死」は衝動的で「生」は覚悟が必要



現実に苦しんでいる本人にとっては、
「死ぬ」しか選択肢がない状況というのは、よくあることだと思います。
切羽詰ると、他の選択肢が見えなくなるんですよね。

しかし、コメントとしても寄せられておりますが、
「死ぬくらいなら、廃業して別の仕事をしよう」と、
そうした言葉が多く寄せられています。

それも、実際に同じように悩み苦しんだ人たちの言葉として。

どうしても、いま目の前の苦しみというところだけで、
様々なことを考えてしまうかと思いますが、
死ぬくらいなら、すべてを捨ててやり直すこともありなのではないでしょうか。

・・・しかし、実際に亡くなった人たちは、死ぬ前にこんなことを言っています。
「いまさら、それを捨てることは、他の人たちに申し訳ない」

私は、「死ぬことのほうがよっぽど申し訳ない」と、そう感じておりますが、
話してみると、「死んだほうがいい」と思っている人、多いようなのです。

死ぬ覚悟ができているなら、プライドもすべて捨てて、
生きてやりなおす覚悟

を持つこともできるのではないか。


かくいう私自身、一度死ぬような覚悟をしたことがあります。
「もう二度と家族とも会えない」
「もう二度と、群馬という土地を踏むことはできなくなる」

そんな覚悟をした時には、涙が止まりませんでした。

覚悟を決めて動いた、その時には、
よい結果が待っていたため、結果としては、
家族やこれまでを失わずに済みました。

「死ぬ」くらいの覚悟があれば、なんでもできると思っています。

しかし、どうして自殺される方は、死を選んでしまうのか。

彼らはおそらく、
死を【選んでいる】のではなく、
【衝動的】に死んでしまっている
のではないでしょうか。

他の選択肢があることに気がつけない。選べない。踏ん切りがつかない。
その悩み苦しみ続ける中で、気がついたら死んでいた・・・

自殺するなんて、意識が普通にあったとしたら尋常ではない覚悟が必要だと思います。
だからこそ、江戸時代の切腹には、価値があったのだから。

となると、これだけ自殺者が増えてきている現状と言うのは、
「死」を覚悟した人間が増えてきているのではなく、
「生」の覚悟ができない人間が増えてきているということを意味している
のではないだろうか。

そんなことを、考えています。
どちらにしても、死ぬほどまでに追い詰められるような、
そんな現状を打開することも必要なのかもしれませんが・・・


みなさんは、どんなことを感じますか。





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Posted by くみちょう at 20:30│Comments(2)まじめ
この記事へのコメント
死にはん いくら勇気が あっても死ねないですよ
 飛び降り 首吊り など 仕様としても 出来ません
たぶん 考えたら 死ね無いでしょう

中小企業金融には 相談しましたか 他人に 頭を下げましたか
 死ぬ気なら 恥ずかしい事でも何でも 出来ると 思いますよ 
  
犯罪は 子供を 最低の被害者にしてしまいます 愛する子供だけには 
 なんの 罪も無いのです 自分が罵られても 子供は 守りたいと思います

死と 言う言葉 軽々しく 人前に出さない方が良いと思いますよ

生きたくても 生きられない 人も居るんです そんな人の分まで 生きなければ 何人も 芸能人や 政治家の人たちも 死んで居ますが 死ぬくらいなら 生きたい人に 臓器を提供すれば良いのにと 思います

しかし 生きたいと 思う人たちは そんな 死にたいと 思うような 弱い臓器は 入らないと言うかも知れませんよ 頑張って生きて欲しいと  
Posted by のほほんパパのほほんパパ at 2009年10月19日 22:54
>のほほんパパさん
まさしく、死ぬ気なら恥ずかしいこともできると感じています。
それができない、というのは、まだまだ覚悟が足りないのではないか、と。
本当に大切なことは、家族を守ることだと、そう考えているなら
死ぬことよりも違う選択肢を選べる。
ということは、家族と言いながらも、実は家族よりも
自分のプライドのほうを優先しているからこそ、
死ぬことを選ぶのかもしれません。
どちらにしても、死んだり、犯罪を犯したりするよりも、
もっともっと、やれることはたくさんあると、そう感じています。

コメント、ありがとうございます。
Posted by くみちょう at 2009年10月20日 07:16
 
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「死」は衝動的で「生」は覚悟が必要
    コメント(2)