2009年04月27日
続・勧善懲悪-ガンダムから考える政治論-
「ぐうぇへっへっへ・・・お代官様、山吹色のお菓子でございます」
「越後屋、おぬしも悪よのう・・・」
悪の代名詞である「悪代官」と「越後屋」
このあたりのことを事例にして、先日「勧善懲悪」についてお話いたしました。
そうしたらですね。なんと私のこのブログに「トラックバック」がついているじゃありませんか!!
トラックバックいただきましたのは、
「おたく鍋-壱零八」さん 2009.04.25
拝見させていただきましたところ・・・
私の話の抜けていた点などをまさにご指摘いただいておりまして、
「トラックバック」だけでもうれしい限りですのに、
論を深めることができまして、本当にうれしく思っております。
それに対しての感謝、ではないですが、
いただいたお話について、さらに私なりに深堀したお話をできたらと思います。
>「機動戦士ガンダムは勧善懲悪か」
実は私も、その点については考えておりました。
以前私の記事においても、シャアとアムロについて語りました。
「ガンダムで生き方を語る」
※私はここから、政治概念について述べようと思っておりましたが、
そのことと「勧善懲悪」は関わってきます。
小学生だった時分には、「アムロが善」で「シャアは悪者」と感じていました。
が、いまはこう感じています。
「アムロとシャアは表裏一体」なんだな、と。
「おたく鍋-壱零八」さんにご指摘いただきました
「勧善懲悪はない」ではなく「誰しもが善にも悪にもなりうる」とのこと、
そのあたりに通じるかと思っておりますが(違っていたらまたご指摘くださいませ)
アムロも一歩生き方を変えたらシャアとなっていただろうし、
シャアも一歩生き方を変えていたらアムロになっていただろうと、そう感じています。
ただ、「シャア」ははじめから「指導者」足るべき存在としてあったのに対して、
「アムロ」は一市民的な立場からスタートしている。
で、それを現実に置き換えると、
多くの場合、「指導者的立場」よりも、「一市民的立場」の方が多いだろう。
そう、おそらくは「立場が人をつくる」ということを表しているのではないだろうか。
本来の性質は同じで、二人とも能力も器量もある。
が、大勢を率いる立場に立ってみると、「人からの期待」も含めて、
「改革しろ」という要求を強く感じる中で、「世直し」として強制的な動きに出る。
それが「道徳的に悪だ」とわかっていても、むしろそれを「やらねばならない」と。
まじめであればあるほど、そう考えるのではないだろうか。
ところが、一市民としての立場でいられるとなれば、
「道徳的な善」を規範として動いていればいいのであって、
わざわざ「世直し」などをする必要もないのではないだろうか。
その両者の立場を同じように感じて、
「なんとか協力してくれたらいいのに・・・」と思わせるところに、
アニメ「ガンダム」の面白さもあったのではないだろうか、と考えています。
幼き頃、「ララァ」の存在が許せなくてね。
「あんな女の何がいいんだ!!」って思っていましたが、
シャアにとって、そうした支えとなる存在が必要であったということは、
実は「道徳的な悪」を容認できない心の存在があることを端的に示しているのだと。
そう、「シャア」もできることであれば「悪」などはしたくはなかった。
自分がそうした考えに行き着いた時に、それを止めてくれる存在として、
「ララァ」という存在を欲していたのではないだろうか、と。
しかし、その止めてくれると期待していていたスーパーバイザー「ララァ」は、
「アムロ」と解合をはじめてしまう。
それに嫉妬した「シャア」は、結果として「ララァ」を失う戦いへと進んでいく。
もし人が権力を持ったら、おそらく同じように変わっていくのではないかなと思います。
まちがった(道徳的に悪に染まった人間たち)を虐殺してでも、
世界を浄化する、ということは、果たして「悪」なのか否か。
戦争をしている人たちを止めるためには、
そういった考え方をもっている人たちを粛清したほうが早いのではないか。
さて、最終的な結論としては、「虐殺」という「悪」につながることをしようとした「シャア」は、
「アムロ」によって打倒された・・・と思いきや、
最後の最後、そのどちらもが行方不明という形で終わる結末。
また、アクシズを押し返そうとしていた一般兵たちの姿を見ていると・・・
ガンダムの世界では、
「勧善懲悪」を乗り越えた先にあるもの
を目指しているように感じております。
って、それは私が勝手に感じていることであって、
最終的に何を伝えたいのかは、「読者」の判断に任せるってことなのかもしれません。
おまけ。
「判官びいき」の気持ちよさ
私は、小さい頃から「理不尽な強い相手に立ち向かう」ことが好きでした。
その理由として次のようなものがあります。
1.「全力で相手に立ち向かってもまわりから非難されづらい(と考えている)」から。
2.「負けたとしても、【自分はかわいそうなのにがんばる】と、自己陶酔することで逃げられる」から。
どちらに転んでも自分が守れると言う美味しい考え方なんですよね。(笑)
まあ、それは単なる逃げでしかないと今は考えておりますので、
いまはそういった考え方にならないように気をつけております。
(が、いまでも「自分が一番の悪役になったり・損したりすればまわりは楽なんじゃないか」とか、
「どこかに、理不尽で且つ強い相手はいないものか」とか考えたりしますが・・・
そういう都合のよい存在を求めるあたり、自分の情けなさを表しているわけですけどもね。)
というわけで、それぞれの話をもっと深めるとこんな形になりました。
「ひとつの記事ではひとつの結論」でないと、混同するよってこと、
そしてそれを中途半端に交えたことで、余計にわかりにくくなったり、
「それは論点が違う」ってことになってしまったこと、
あらためて考えるきっかけにもなりました。
日々、精進ですね。
「楽しいことが人生だ!!」は にほんブログ村 に参加しています。

よろしければクリックをお願いします。
Posted by くみちょう at 18:00│Comments(2)
│まじめ
この記事へのコメント
うーん、深い!
明日もよろしくです。
明日もよろしくです。
Posted by 齊藤正明
at 2009年04月27日 22:03

いきなりのトラックバックにお返事ありがとうございます。私の方のブログが文体の都合上、いささか不躾になっておりますコトご容赦下さいませ。
重なる属性を持つアムロとシャアが立場により、その行動に差が出た…というのは同感です。ですが、個人的には「勧善懲悪」はキャラクターの属性である一方で、作品全体に横たわる思想の表れだと思っております。その点において、ガンダムの中にも厳然と「勧善懲悪」が存在すると考えております。
その辺をうまくまとめたいのですが、なかなか難しく。拙ブログにて考察を引き続き進めたいと思っております。
お邪魔いたしました。
重なる属性を持つアムロとシャアが立場により、その行動に差が出た…というのは同感です。ですが、個人的には「勧善懲悪」はキャラクターの属性である一方で、作品全体に横たわる思想の表れだと思っております。その点において、ガンダムの中にも厳然と「勧善懲悪」が存在すると考えております。
その辺をうまくまとめたいのですが、なかなか難しく。拙ブログにて考察を引き続き進めたいと思っております。
お邪魔いたしました。
Posted by freak-k at 2009年04月29日 04:28
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。 |